2013年4月9日火曜日

異変

 天正十年(一五八二)六月二日
 琵琶湖の東北に近江・長浜はあり、立派な
屋敷が軒を連ねる界隈も夜の闇に包まれれば
庶民の家と見分けはつかない。
 灯り一つない世では月や星が隠れる曇った
日には目の前にある手さえも見えない一寸先
は闇の世界だ。
 やがて雲の間から月が顔をのぞかせ、屋敷
の瓦屋根と琵琶湖の水面を照らし出した。と、
その瞬間、琵琶湖の西南に小さな光が見え、
次第に空を赤く染めた。
 この時代、夜中の真っ暗闇で遠くに小さな
光の点が見え、空が夕日のように赤く揺らい
でいればそれは火災以外にはない。しかし、
それがどこで起きている火災なのかは分かる
はずもなかった。だがこの時は違った。
 琵琶湖の西南といえば、京・本能寺の方角
で、そこには織田信長がいたのだ。
 長浜には羽柴秀吉の屋敷があり、その近く
にある一軒の屋敷が慌ただしくなった。
 屋敷の廊下を小走りする複数の足音がして、
その音がぱたりと止むと、障子がバタンと開
き、血相を変えた女が数人、部屋に入って来
た。
 そこには母と五人の子らが眠っていた。そ
の末っ子で生まれて間もない赤子が後に小早
川秀秋となる木下辰之助である。
 母はすでに起き上がり、着物の乱れを直し
ていた。
 子らも一人二人と目を覚ましたが、辰之助
はまだすやすやと眠ったままだった。
 部屋に入って来た女のひとりは羽柴秀吉の
妻、ねねで、この時三十四歳。他は侍女たち
であった。
 辰之助らはねねの兄、木下家定の家族とい
うことで秀吉の屋敷の近くに住んでいたのだ。
 ねねが短く事情を話した。
「お館様のいる本能寺から火の手があがった
ようです。さ、早く支度を」
 お館様とは織田信長のことだ。
 ねねは小声で言ったつもりだったが、辰之
助が目を覚まして泣きはじめた。とっさにね
ねが辰之助を抱きかかえて部屋を出た。その
後を追うように母と侍女は寝ぼけている他の
子らをつれて部屋を出た。
 一行が向かった先は長浜の総持寺。
 何かが起きれば避難する場所を決めている
のは戦国の世の常だ。
 この頃、秀吉は備中で毛利軍と交戦してい
て留守だった。また他の信長の家臣も各地に
散らばり戦をしていた。