2013年4月13日土曜日

茶頭宗易

 後に千利休と呼ばれる千宗易は、商いで国
を治めるとまで言われた堺商人の代表として
信長に召抱えられていた。
 宗易は表向きには茶の湯を取り仕切る茶頭
になっていたが、本当の役割は軍資金を創り
だすその能力にあった。
 戦国時代に名を上げた武将の領地には軍資
金となる金山や銀山があるか、兵糧となる農
産物が豊富にある。しかし、信長の領地では
こうした物を手に入れるのが難しい。そこで
信長は宗易を茶頭にして茶の湯を広めさせた。
そして信長は、どこでも誰にでも作れる茶器
の中から人気が出そうな物を宗易から事前に
聞いて買占めたり、高価な茶器を買いあさっ
た。そのことが「名器狩り」と揶揄(やゆ)
されたが、これで茶の湯が注目され、大名や
商人だけではなく、公家も加わって茶器の値
段は高騰した。こうして信長は茶の湯で莫大
な利益を得ると同時に公家との交流を深め、
潤った堺商人からも支持され鉄砲などを調達
することができたのだ。
 やがて茶器そのものを戦で手柄を上げた者
に褒美として与えたりするようになり、軍資
金を減らさず増やすことに成功した。これが
強大な隣国に囲まれていた尾張の空け者、信
長を天下統一に目覚めさせ導いた原動力の一
つとなった。
 秀吉も宗易を召抱えることで、公家と堺商
人をつなぎとめて関係を深めることができた。
そして民衆は秀吉が事実上、政権を握ったこ
とに拍手喝さいで迎えた。これらを追い風に
秀吉は信長の盛大な葬儀を主催して信長が生
きているという噂を打ち消し、自らの政権誕
生を印象づけた。また人事を独断して勢力を
拡大していった。