2013年4月17日水曜日

北ノ庄城

 天正十一年(一五八三)四月二十三日

 秀吉は北ノ庄城に籠城する勝家を包囲した。
 勝家は秀吉に降伏することを選ばず自刃す
ることを決めていた。しかし、問題はお市の
方をどうするかだった。
 清洲会議の時から夫婦になり一年もたたな
いうちにこのようなふがいない状況をむかえ
た。
 勝家とお市の方は、雪に閉ざされて動けな
かったほんのわずかな時間しか心を通わせる
ことはできなかった。だがこのまま秀吉に手
渡すのは口惜しい。しかし一緒に自刃してく
れるとも思えなかった。
(いっそ殺してしまおうか)
 悩んでいる勝家のもとにお市の方が現れた。
「私の命は欲しくはありません。だけど、ど
うか子らは助けてくださいませ」
 お市の方には兄の信長に自刃させられた前
夫、浅井長政との間に三人の娘がいた。
「それでは子らが不びんではないか」
 勝家はお市の方が自らの命乞いをしてくれ
れば逃がそうと思った。
 お市の方は勝家の気持ちを察するように懇
願した。
「私はあなた様に付き従います。そうすれば
あなた様の名誉は保たれます。しかし子らま
で道連れにすれば後世になんと伝えられるで
しょう」
 勝家は自身の名誉などどうでもよかった。
気がつけばお市の方に子らと一緒に逃げ延び
るよう説得していた。
 二人の話し合いは夜明けまで続いた。

 天正十一年(一五八三)四月二十四日

 朝早くから秀吉はいつものように懐柔策で
勝家を降伏させようと準備をしていた。しか
し突然、城から煙が立ち上った。
 北ノ庄城はあっという間に炎に包まれ、包
囲していた秀吉の部隊は立ち尽くしたまま、
なす術がなかった。
 やがて焼け出された三人の娘が秀吉の前に
連れてこられた。
「とと様とかか様はどうした」
 秀吉は動揺した口調で娘たちに聞いた。し
かしその答えは返ってこなかった。
 三人の娘を連れてきた兵卒から柴田勝家と
お市の方が自刃したことが告げられた。