2013年4月19日金曜日

毛利一族

 秀吉がこの頃、しきりに警戒していたのが
毛利一族だ。
 毛利一族とは、中国地方を支配していた毛
利輝元とその叔父、吉川元春と小早川隆景の
ことだ。
 毛利一族と秀吉は、備中で交戦していた時、
本能寺の変が起き、その直後に和睦していた
のだが、毛利一族は本能寺の変を後で知って、
秀吉に騙されたという恨みがあった。特に元
春は秀吉を追撃しようとまで主張していた。
それを隆景が「誓約を守るべき」として止め
た経緯がある。
 秀吉にしても戦いに決着をつけられず引き
上げたため、屈服させていないという不安が
あった。
 そのため道理の分かる隆景にはしきりに連
絡して、戦いの回避を促していた。
 輝元は秀吉の賤ヶ岳での戦いぶりや大坂城
を築城して湧き上がる民衆の秀吉人気に反抗
するのは不利と感じた。そこで交渉に安芸・
安国寺の僧侶、恵瓊をあてた。
 恵瓊はただの僧侶ではなく、毛利一族の政
治にも口を出し、輝元がもっとも頼りにして
いる相談役で、本能寺の変後の和睦を取りま
とめたのも恵瓊だった。
 そうした恵瓊の重用に納得のいかない元春
とは対立していた。またこの時の交渉でも、
元春の三男、広家と隆景の弟で今は養子の秀
包を人質として秀吉に出すことになり、これ
が毛利一族の亀裂をさらに深めることになっ
た。