2013年4月26日金曜日

滝川一益の弁明

 家康と信雄の前に引き立てられた一益は、
何食わぬ顔で言い訳を始めた。
「わしは秀吉殿から信長様がお戻りになるの
で、尾張の城を預かるように言われただけだ。
蟹江城の与十郎殿もすでにこのことはご承知
のようで、快く城に入れてくれましたぞ。そ
れで信雄様もご承知と思い、使いの者を大野
城に向かわせた次第」
 信雄はまったく知らないといった様子で、
家康の顔を見て言った。
「いやわしは知らん。与十郎め、秀吉に内通
しておったか」
「なんと。信雄様はご存知なかったのですか。
さては、秀吉が降伏したわしをだまして殺す
つもりであったか。この歳まで生きながらえ
てこのようなたわいもない計略が見抜けぬと
は……。わしも落ちぶれたものよ。家康殿、
わしはこのような恥辱は耐えられん。今すぐ
にでも首をはねてくだされ」
「何を申される。信長公に仕え、数々の武勲
をあげたればこそ、信長公のためとあらば何
の疑いもなく従われた。その忠義者のそなた
を殺せようか。憎っくきは秀吉ぞ」
 一益は肩を落として声を出し泣き崩れた。
 それを見た信雄が声をかけた。
「そうじゃ。一益がどれだけ父上の助けとなっ
たか。幼い頃、よう聞かされたものじゃ。そ
こで一益に頼みがある。裏切り者の与十郎を
討ち取って来てもらいたい」
「ありがたきお言葉、かたじけのうござる。
これを織田家最後のご奉公とし、この後はす
ぐに出家して、信長様を弔う余生といたした
いとぞんじます」
 信雄は一益の肩を叩いてねぎらうように言っ
た。
「それがよかろう」
 それに家康も賛同した。
 一益はすぐに立って、蟹江城で何も知らず
待っていた与十郎を斬り捨てた。
 こうして開放された一益は、すぐに京の妙
心寺に向かい出家して仏門に入った。
 この頃、秀吉は一益が、尾張を首尾よく攻
めれば自らも進撃しようと、近江に待機して
いた。そして今は、美濃の岐阜城に移り、一
益が敗退したという知らせを聞いていた。
「一益め、衰えたな。出家もしかたあるまい。
じゃが、ようやってくれたわ」
 秀吉は尾張を奪い取れなかったが、これで
思い通りに事が運ぶとほくそえんだ。そして、
一益に越前、大野の隠居分、三千石を与えた。
 戦国の世には珍しく、無事に退いた一益は、
茶の湯を楽しみながら穏やかな晩年を過ごす
ことができた。