2013年5月16日木曜日

暗殺計画

 ちょうどこの頃、秀吉は備中に毛利討伐に
出兵することになり、他の信長家臣も各地で
戦をしていて、信長を無防備にしやすい状態
にあった。そこで秀吉は、出兵してしばらく
すると信長に「苦戦している」と訴え出兵要
請をした。
 宗易は、茶人仲間で博多の商人、島井宗室
を信長のもとに向かわせた。そして「宗易殿
からご要望の延命の呪術に必要な供物が揃い
ました。また、宗易殿からの言付けで、揃え
た供物は本能寺に運び、施術の準備をするよ
うに、施術する時は誰にも邪魔されないよう
に警戒を厳重にするように」と告げさせた。
 これに喜んだ信長は、本能寺に向かい、誘
い出すことに成功した。(このような理由で
もなければ、寺の焼き討ちをしていた信長が、
いくら本能寺が武器・弾薬を備えていたとし
ても、寺に泊まるということは考えられない)
 この時、宗易自身は、京にいた徳川家康の
もとで茶会を開き家康の動きを封じた。
 延命の呪術をする時、警戒にあたらせる部
隊として本能寺の近くにいたのは、明智光秀
の部隊だけだった。
 明智光秀は、信長から無慈悲な扱いをされ
ることもあったが、だからといって自分の恨
みごとで軍隊を動かすような性格ではない。
 光秀の部隊がいた理由は、信長に命じられ、
秀吉の援軍に向かう途中、京で「馬揃え」と
いう武者行列を披露することになっていたか
らだ。
 このことからも信長は光秀を高く評価し、
光秀は信長の信頼に応えようと努力していた
ことが伺える。
 宗易が信長に伝えた延命の呪術がどのよう
なものだったかは知る由もないが、光秀がそ
の様子を見れば激怒するような宗教上の禁制
を犯す行為だったかもしれない。
 宗教観が薄れている現在でも、遺伝子組み
換えやクローン人間などの実現は、科学的に
理解できても精神的な抵抗がある。
 ある宗教では、聖書を粗末に扱っただけで
も殺人が起きるなど、宗教を信仰していない
者からすれば理解できないことも正当化され
ている。
 現在よりもはるかに宗教心のある光秀の生
きた時代には、なおさら敏感だっただろう。
その上、明智家は代々、天皇を崇拝して守る
陰陽道を司る家系にあった。
 信長が天皇を否定し、呪うように見える呪
術をしていたとしたら光秀が発作的に行動し
てもおかしくない。それを宗易は延命の呪術
に忍ばせていた。