2013年5月19日日曜日

思春期

 そんなことが起きているとは知らない秀俊。
 その生活は優雅なものだった。
 読み書きや和算などの勉学は難なくこなし
た。そして、公家の作法や蹴まり、乗馬など
もすぐに覚えた。
 やっかいだったのは、生活態度を厳しくし
つける補佐役、山口宗永だが、常に監視され
ているわけではなく、検地があれば秀吉に呼
び出されることが多かったので、その隙に鷹
狩りなどに出かけては遊びほうけていた。
 そんな秀俊も九歳で早くも思春期を迎えた。
 秀俊のような大名の子は、毎日の行事とし
て朝夕にみそぎの湯を浴びて神仏、祖先に礼
拝していた。
 このみそぎの湯浴びをする時は、薄い肌着
だけの女中が世話をしてくれるのだが、その
肌着にどうしても湯がかかり、透けてうっす
らと女の裸体が見え隠れするのだ。
 これに秀俊は心をときめかせるようになっ
た。しかし、毎日同じ女中では飽きてくる。
 ちょうど京には、諸大名の妻子が秀吉の命
令で住まわされている。そこで、秀俊は京の
大名屋敷を巡り始めた。
「誰か居らぬか。汗をかいた。湯浴びを所望
じゃ」
 その声に飛び出した屋敷の者は、身なりの
立派なかわいらしい子が堂々としているので、
これは良家のご子息だろうと、快く湯浴びを
させた。
 そんなことを度々していると、そのうち関
白の子、秀俊と分かり、あちらこちらの屋敷
に出没すると話題になった。
 それはやがて秀吉の耳にも入った。
 ある日、秀俊のもとに秀吉から朱印状が届
けられた。それには、日ごろの生活態度を戒
めた中に「湯浴びは決められた女中の所です
るように」と書いてあった。
 そんな秀俊のやんちゃぶりは、かえって庶
民的な人気を呼び「金吾かるた」などが売ら
れるようになった。