2013年5月23日木曜日

文禄の役

 文禄元年(一五九二)

 毛利輝元、九鬼嘉隆など、水軍をようする
諸大名が、朝鮮に渡るための軍船を用意した。
そして、他の諸大名にも役割分担が告げられ
た。

朝鮮に経由する地の船奉行
 朝鮮
  早川長政、毛利高政、毛利重政
 対馬
  服部一忠、九鬼嘉隆、脇坂安治
 壱岐
  一柳可遊、加藤嘉明、藤堂高虎
 名護屋
  石田三成、大谷吉継、岡本重政
  牧村政吉

朝鮮に出兵する部隊
 一番隊
  小西行長、宗義智、松浦鎮信
  有馬晴信、大村喜前、五島純玄
 二番隊
  加藤清正、鍋島直茂、相良頼房
 三番隊
  黒田長政、大友吉統
 四番隊
  毛利吉成、島津義弘、伊東祐兵
  島津忠豊
 五番隊
  福島正則、生駒親生、来島通之
  長宗我部元親、蜂須賀家政
 六番隊
  小早川隆景、秀包、立花宗茂
 七番隊
  毛利輝元
 八番隊
  宇喜多秀家
 九番隊
  羽柴秀勝、細川忠興 

 三月に秀吉は京を出陣した。そして、四月
十一日には一旦、安芸・広島城に滞在した。
 秀吉は、広島城が聚楽第を手本に築城され
たことを知っていたので立ち寄り、城内をじっ
くりと見てまわった。
 それから毛利輝元、小早川隆景の歓待を受
けて親交を深め、厳島にも渡り厳島神社で、
九州征伐以来、二度目の戦勝祈願をした。
 四月十九日に朝鮮への渡海命令を発すると、
秀吉自身は、同月二十五日に肥前・名護屋城
に到着した。
 秀吉の後を追うように秀俊も名護屋城に入っ
た。
 秀俊に同行した者の中に藤原惺窩もいた。
 惺窩は、秀俊の居城、亀山城に寄宿して以
来、明や朝鮮から伝わる書物をひもとき、儒
学や帝王学を秀俊に説くようになっていた。
 秀俊と学ぶことで、惺窩の学識も高まり、
その名声は以前にも増して高まっていた。
 惺窩は、秀吉にどうしても言っておきたい
ことがあり、秀吉が京を出陣する前に面会し
た。そして「朝鮮には貴重な書物や儒学の基
礎を築いた姜コウ、朱子学者の鄭希得など有
能な人物、また活字印刷の技術を身につけた
職人などがいて、それらは今後の日本に多大
な貢献をする」と説き、戦をやめるように嘆
願した。
 これに対して秀吉は「戦をやめることはで
きないが、それらの者を日本に運んでくるの
で、惺窩殿は名護屋城へ出向き、選別するよ
うに」と命じていたのだ。

 すでに港からは、朝鮮に向けて軍船が次々
と出港していた。