2013年6月10日月曜日

兵法

 大広間で秀秋を見つめていた三成は、処罰
されるとも知らず諸大名から賞賛されている
秀秋を哀れに思った。
 秀吉が座ると、すぐに戦況報告がおこなわ
れた。
 まず、秀秋の軍目付として同行した太田一
吉が、秀秋の釜山浦城での様子や将兵への適
切な指示、蔚山城攻防での戦いぶりをありの
まま報告した。
 その内容に失態はみられなかった。しかし、
それを聞いていた秀吉が口を挟んだ。
「秀秋に聞く。そなたには帰国するように再
三、三成から要請が届いておったはずじゃが、
なんで帰国せんのじゃ」 
「お恐れながら、帰国の要請は緊急の用向き
とは思われず、総大将が戦場から軽々しく退
くことはできません。また、その頃は敵の動
きが慌しくなり、そのうち蔚山城が包囲され
たとの知らせがあったので、解決を待って帰
国する予定にしておりました」
「わしのもとには内々に報告があり、秀秋は
身勝手な行動が目にあまり、軍の規律が乱れ
ているとのことじゃったが」
「何を見聞きしての報告かは知りませんが、
すべての権限は総大将にあり、命令は総大将
から下されるのが当然。それに背く者こそ軍
の規律をみだしているのではないでしょうか」
 秀吉の顔色が変わった。
「それはわしが余計な口出しをしていたと言
いたいのか」
「古くから伝わる孫子の兵法には、『君命に
受けざる所あり』との教えがあります。その
場の臨機応変の対応こそ大事。ここから海の
向こうで何が起きているか見えるでしょうか」
 もっともな言い分に、面白くない秀吉は矛
先を変えて、黒田長政、蜂須賀家政が蔚山城
の戦いで、先鋒でありながらもたつき、また、
撤退する明・朝鮮連合軍を追撃しなかったこ
とを叱責した。そして、軍目付の早川長政、
竹中隆重、毛利高政の所領を没収する処罰を
下した。
 このことに秀秋は怒りを爆発させた。
「なぜだ。皆に落ち度はない。朝鮮では孫子
の兵法にある天の時、地の利、人の和がなく、
とと様が天下を取った時とはまるで違う。と
と様は勝機のない戦をもて遊んでいるだけで
はないか。とと様こそ兵法を学ばれよ」
 秀秋の怒りに、諸大名は騒然となった。
 今度は恥をかかされた秀吉が烈火のごとく
怒った。
「黙れ。身分をわきまえよ」
 秀秋は冷めた顔で立ち上がり、秀吉の側に
歩みよった。そして、低い声でささやいた。
「あんただって、抜け駆けで天下を取ったん
じゃないか」
 秀吉は青ざめ、身体を振るわせた。
(こいつ、何を知っとるんじゃ)
 秀吉には思い当たる節があった。それは秀
秋が幼い頃、織田信長の生まれ変わりにする
ために、千利休に信長の生前のことを秀秋に
話して聞かせるように命じたことがあった。
(もしや利休め、秀秋にあの時のことまで話
したのか)
 あの時とは、本能寺の変のことだ。