2013年6月29日土曜日

異様な戦闘

 大砲は火薬や弾丸を込めるのに手間がかか
り、向きを少し変えるのも一苦労で、白兵戦
には不向きだが、火箭は移動がしやすく、ど
んな向きにでもすぐに変えて発射させること
ができた。そして、三成らがあらかじめ関ヶ
原の地形を調べ、伏見城攻撃で使用した経験
をもとに和算を利用して簡単な弾道計算をし
ていたのだ。そして、それに加え、激しい西
風が幸いして射程距離が伸び、性能以上の戦
果があった。
 松尾山城では、しばらくして、戦況を探っ
ていた兵卒が城内に駆け込んで来た。
「毛利隊、吉川隊は動きません」
 また、別の兵卒が続けて駆け込んで来た。
「西軍から火箭と思われる武器の攻撃あり。
赤座隊、小川隊、朽木隊、脇坂隊に動きはあ
りません」
「あの音は、やはり火箭か」
 秀秋は、西軍に戦闘開始直後から使えるほ
ど、大量の火箭が用意されているのを知り、
それで三成と面会した時、劣勢の兵力でも強
気でいたことに納得した。
 戦場では、東軍も西軍も交戦している兵の
数に大差はなく、一進一退の攻防が続いてい
た。しかし、こんな状況でも所々で布陣した
まま動こうとしない部隊があり、この合戦の
異様さを物語っていた。
 次第に雨がやみ濃霧となった。そこに強い
西風で徐々に霧は流れ、日も射してきた。
 しだいに蒸し暑くなり、血の臭いや死体が
焼けて焦げたような臭いが松尾山にも流れて
くるようになった。
 頬に汗が流れる兵卒の一人が、腕で鼻をふ
さぐしぐさをした。
 東軍の大砲による本格的な攻撃が始まり、
爆音の後には悲鳴やうめき声が聞こえてきた。
しかし、秀秋の部隊は、まだ微動だにしなかっ
た。
 この頃、秀秋のもとに兵卒のひとりが歩み
寄り、三成が城に持ち込んだと思われる軍資
金が発見されたことを耳打ちした。
 戦は一日で終わることはない。
 軍資金や兵糧は最低でも一ヶ月分は用意し
ておかなければ、多くの将兵をつなぎとめて
おくことはできない。
 ましてや、劣勢が確実で、領地が疲弊して
いる諸大名が多く参戦している西軍は、軍資
金だけが唯一の支えだった。
 三成が城に持ち込んだ軍資金は膨大で、見
えているだけでも五千両はあり、半年は戦え
るほどの金銀が曲輪の一画に埋められ、まだ
それ以上、埋まっているようだった。
 秀秋は、三成が危険も顧みず城にやって来
たことを、味方になるよう説得するためだと
は思っていなかった。この時、三成は兵糧と
武器の返還だけを求めていたが、本当はこの
軍資金が見つかることを心配していたのでは
ないかと察した。
(三成は俺の力など、当てにはしていない)
 秀秋は、すぐに稲葉正成を呼び、家康の家
臣、奥平貞治に気づかれないように運び出せ
ないかを相談した。
 稲葉は少し考えて言った。
「まず、軍資金がどれだけの量になるのか私
が確認します。その上で、場合によっては一
旦、埋め戻して頃合をみて運び出すほうが得
策ではないでしょうか」
「よし、そうしてくれ。俺は奥平の気をひき
つけておく。この戦は好都合かもしれんな」
 稲葉は、一礼するとすぐに軍資金が埋まっ
ている曲輪に向かい、一部の小隊を選んで、
軍資金を密かに運び出す準備を指示した。
 合戦が始まって二時間がたった頃には、大
砲の爆音は消え、火箭も散発的に飛ぶだけに
なった。
 それでも石田三成は、この停滞した流れを
変えられるのではないかと感じていた。その
理由は、松尾山の秀秋と南宮山の毛利秀元ら
が、いまだに東軍として動きを見せていなかっ
たからだ。これらを寝返らせることができる
かもしれないと思い、使者を走らせて出陣要
請をした。しかし、いっこうに動く気配はな
かった。そこでやむなく、三成、小西行長、
宇喜多秀家、大谷吉継の部隊が動き、一気に
決着をつけようとしていた。
 西軍には、家康に内通して東軍に寝返る手
はずの赤座直保、小川祐忠、脇坂安治などの
部隊もあったが、いっこうに動こうとしない。
いや、動けなかったのだ。
 東軍は、家康に振り回されるように慌てて
布陣し、合戦が始まる時も、秀忠の到着を待
たず、井伊直政らの抜け駆けで始まった。こ
のことで、内通する諸大名には、家康が何を
考えているのか分からず、二つの疑念がわい
た。
 その一つは、東軍の布陣が整っていないの
になぜ戦いを始めたのか、これは自分たちと
西軍を戦わせて共倒れをさせようとしている
のではないかという疑念。もう一つは、なぜ
秀忠がいないのかという疑念。ひょっとして、
秀忠の兵を温存しているのではないか。そし
て自分達が戦った後、秀忠の三万人を超える
兵が現れ、裏切り者の汚名をきせられて攻撃
されるのではないかと考えをめぐらしていた
のだ。
 悪巧みに長けた家康なら、合戦が終わった
後のことも計略を練っているだろう。
 この合戦に勝利すれば政治は安定する。そ
うなれば、秀吉も考えていたように力だけの
武士は必要なくなる。それに、すぐに寝返る
ような者は信用できない。戦った後の疲れきっ
た将兵なら秀忠の部隊だけでも容易く片付け
ることができると考えるのが自然だろう。 
 寝返る者にはそれだけの危険が伴う。そこ
に一瞬の迷いが生じ、戦う機会を失っていた
のだ。しかし、秀秋は別のことを考えていた。
(秀忠の部隊が到着すれば、俺の出る幕はな
く、勝敗は決するだろう。この城を奪ったと
はいえ、何もしない俺の処罰は免れない。だ
が、秀忠は未だに現れない。これは家康の罠
か、それとも……。俺の命運はまだ尽きてい
ないのか)
 また違う考えも頭をよぎった。
(今、東軍に攻め入れば西軍が勝てるかもし
れない。しかし、今の豊臣家では、いずれま
た戦国の世に逆戻りしてしまう。家康は、信
長や秀吉のそばで天下の治め方を見てきた。
良くも悪くも後継者として認めざるをえない)
 それに秀秋は、家康に借りがあることを忘
れてはいなかった。
 朝鮮出兵では、手柄をあげたにもかかわら
ず、島津家の進言で秀吉に国替えさせられた。
それを家康の計らいで赦され、所領が元に戻っ
たことだ。
 家康の所に礼を言いに出向いた時、小僧扱
いし、笑い者にされたことも忘れてはいなかっ
た。
 秀秋は思い出して、こぶしを握り締めた。
(あの時の借りを必ず返し、秀忠との出来の
違いを見せつけ、俺の力を思い知らせてやる。
天命があれば島津に一泡吹かせることもでき
よう)
 秀秋は、秀忠の所在が分かるまで待つこと
に決めた。