2013年6月3日月曜日

出港

 秀秋は、自分が総大将になったことを秀次
の代わりに選ばれたのだと淡々と受け止めて
いた。そして、すぐに準備を始め、まず朝鮮
に渡るのに必要な軍船の資材を調達すること
にした。
 それには、居城の名島城の近くにある杉山
から杉の大木を伐採することを決めた。
 その杉山の杉は以前、この地の領主だった
大内義隆が、御神木として伐採禁止令を出し
ていた。そのためちょうど良い大木に成長し
ていたのだ。
 領民の中には「御神木を伐採すると祟られ
る」と恐れる者もいたが、秀秋は「御神木だ
からこそ軍船にすれば神のご加護もある。ま
た、雑然と増えすぎた杉を間引くことも必要
だ」と説得し、選ばれた杉を慎重に切り出し、
その場所には新しい杉の苗木を植えさせた。
 このことから、この杉山を「分杉山」「若
杉山」と呼ぶようになった。
 次に秀秋は、浪人をかき集めた。そして、
全ての家臣の中から朝鮮に出兵する家臣を選
び、その家臣と供に野駆けや巻狩りなどをし
て軍事訓練をおこなった。
 この頃はまだ、小早川家の家臣と豊臣家の
元家臣は気が合わず、ギクシャクした関係が
続いていたが、秀秋はおかまいなしで、ケン
カをするのも笑ってみていた。

 諸大名の部隊がしだいに肥前・名護屋城に
集結し始めた。そして、一番隊の加藤清正、
二番隊の小西行長、宗義智、松浦鎮信らの部
隊を皮切りに、次々と出港して行った。
 秀秋の出港が近づいた六月十二日に、小早
川隆景がこの世を去った。
 隆景とは短い期間の父子だったが、備後・
三原城で隆景が歓迎してくれたことを秀秋は
思い出して寂しさが募った。
 秀秋は、隆景の葬儀をすませると、正式に
小早川家の家督を引き継いだ。そして、七月
に朝鮮への出港が決まり、新造され「日本丸」
と名づけられた大型軍船に乗り込んだ。
 日本丸を含む水軍は、壱岐、対馬を経由し
て、朝鮮が目前というところで朝鮮の元均(ウォ
ンギュン)が率いる水軍と遭遇した。
 いきなりの海戦で、慣れていない豊臣家の
元家臣たちは何もできなかった。
 それとは対照的に、小早川家の家臣たちは
水軍で鍛えられた経験を生かして冷静に対処
した。やがて、豊臣家の元家臣たちも見様見
まねで協力し始めた。
「おぉ、まさに呉越同舟だな」
 秀秋は、家臣がまとまる兆しを感じて喜ん
だ。
 この海戦で日本水軍の苦戦が続く中、藤堂
高虎、加藤嘉明、脇坂安治の率いる水軍が救
援に現れ、反撃を開始した。そして、海戦で
負け続けていた日本水軍が、この時は善戦し
て初めて朝鮮水軍を撃退した。
「これも御神木のご加護があればこそじゃ。
われらには神がついておるぞ」
 秀秋のその声に家臣らが勢いづき歓声をあ
げた。
 こうしてようやく日本丸は朝鮮の釜山港沖
に錨を下ろした。