2013年6月30日日曜日

逃げ道

 南宮山の安国寺恵瓊は、優勢のはずの東軍
が劣勢になりかけていたのを好機とみて、毛
利秀元に家康の背後を攻撃するように助言し
た。しかし、吉川広家は家康と内通していた
ので、出陣しようとする秀元を止めていた。
 この南宮山の動きが、勝敗を大きく左右す
る鍵になっていた。
 家康も南宮山が気になり始めていた。
 秀元がこちらに攻めてくれば、東軍に味方
している秀吉恩顧の諸大名もいつ反旗を翻す
か分からない。そこで本陣を移動することに
した。
 家康の本隊は、毛利の部隊から距離をおく
桃配山の中腹に移動して、一旦は留まったが、
東軍はさらに劣勢になり、桃配山を下ること
にした。
 そこには中山道、伊勢街道がある。
 家康は、いざという時の逃げ道を確保しよ
うとしていたのだ。
 家康が本陣を移動していることを知った秀
秋も決断を迫られていた。
 松尾山城を奪い取ったことで、秀秋の家臣
は皆、手柄を立て自分たちの役割は終わった
と思い、この時、すでに戦闘意欲をなくして
いたのだ。それを今からどういう理由で、皆
に死を覚悟させて戦わせるのか。
 松尾山城のいたる所に小早川隊、一万五千
人の将兵が、じっと待機していた。
 末端の兵卒はすでに故郷に帰ることで頭が
いっぱいだった。しかし、合戦が始まっても
なかなか勝敗が決まらない。
 兵卒に戦いの駆け引きなど知るよしもない。
それでもこれだけ長い間、勝敗が決まらなけ
れば、自分たちの出陣もあるのではないかと
思うようになっていた。
 これまで、秀秋が領地管理や戦闘訓練など
で示した考え方が兵卒にも浸透していたのだ。
 やがて、誰に命令されるでもなく皆、自発
的に戦う準備をして、ひたすら秀秋の命令を
待った。
 合戦という死を覚悟した異常な興奮状態の
中では本来、逃げ出す者や抜け駆けして功名
を得ようとする者がいてもおかしくない。多
人数の中、数人が勝手な行動をしても分から
ないし、とめることはできないだろう。
 朝鮮では、どの部隊よりも真っ先に蔚山城
に攻めて行くような戦い方をしていたが、今
度の戦では整然と秀秋の命令を待っている。
 秀秋が、優柔不断で愚鈍な若殿様なら補佐
をする家臣がいくら有能でも末端の兵卒を命
令に従わせることは難しい。もっとも、有能
な家臣なら秀秋を言いくるめて出陣させるか、
秀秋を無視して行動し出世の機会をつかもう
とするだろう。
 稲葉正成は家康に取り入ろうとしていたし、
家康から送り込まれた浪人の中には家康の家
臣もいたのだ。
 この時代、愚鈍な殿様に仕える必要はない。
まして、命令を聞く気にはならないだろう。
 秀秋と兵卒の身分を越えた強い信頼関係が
なければ今の小早川隊の姿はない。
「待つのも釣りだーね。若様は、大物でも釣
ろうとされとるんじゃろ」
 兵卒のひとりがそうつぶやき、緊張してい
た場を和ませた。
 ただひとり、家康の使者で来ていた奥平貞
治は、秀秋がいつまでたっても動こうとしな
いことに、家康の怒っている姿を想像して、
肝を潰す思いだった。
「秀秋殿。ご出陣を」
 秀秋は関ヶ原の地形図に手を添えて示し、
奥平を睨(にら)みつけた。
「家康殿は、まだ布陣が整ってないのに戦い
を始められた。秀忠殿も来てないではないか。
俺は将兵を無駄死にさせる気はない」
「お恐れながら、西軍には大殿と内応してい
る部隊がおります。秀秋殿のご出陣があれば、
それらも動き、必ず勝利します」
「われらより先にその部隊が動かんのはどう
してだ。皆、秀忠殿の兵を家康殿が温存して
いると思っている。このままうかつに動けば
戦った後、どちらが勝つにしても裏切り者の
汚名をきせられて打ち滅ぼされるかもしれん。
まずは、秀忠殿がなぜ来ないのか、そのこと
をはっきりさせるのが先決であろう」
 秀秋の鋭い洞察に奥平はひるんだ。
「では、秀忠殿の所在を調べて参ります」
 奥平はいたたまれず、城を立ち去った。
 それを見た稲葉が、秀秋の側に寄りささや
いた。
「よろしいのですか。家康殿に疑われますよ」
「なぁに、飢えた獲物はどんな餌にでも食い
つくものだ。家康には天下をくれてやる。だ
がこうして地獄の苦しみを味わえば、助けた
者が小僧でも神仏に見えよう」
 そうは言ったものの、秀秋は地形図を見て
考え込んだ。