2013年6月8日土曜日

清正と秀秋

 蔚山城内では、やっと救援に来た日本軍の
騎馬隊が見えると、雄たけびとも泣き叫ぶ声
ともつかない歓声をあげた。
 清正もその中にあったが、騎馬隊の攻撃を
見てつぶやいた。
「総大将の騎馬隊か。しかし、なんじゃこの
戦い方は。兵の統率がまるでとれておらん」 
 やがて清正のもとに、秀秋からの伝令が駆
けつけてひざまずき、秀秋の言葉を伝えた。
「大軍の攻撃にもかかわらず、よくぞ持ちこ
たえられた。それでこそ天下に名を成した武
士の誉れ。今はゆっくりと身体を休め、高み
の見物でもしておられよ」
 清正は目頭を熱くし、そしてただただうな
ずくだけだった。
 秀秋の部隊は、まだ二手に分かれて攻撃し
ていた。
 岩見が叫んだ。
「いまこそ小早川の武勇を示す時ぞ。突っ込
め」
 それに対抗するように稲葉がうなった。
「奴らに遅れをとるな。豊臣の名折れぞ。底
力を出さんか」
 秀秋はそんなことを気にする様子もなく、
次々と敵兵を倒していった。
 いつしか秀秋のすさまじい戦いぶりに、遠
巻きに散らばっていた二つの隊列は、次第に
秀秋につき従うようになり、歩調を合わせ、
一丸となって攻撃し始めた。
 黒田長政、島津豊久らの出遅れた日本軍も、
いつの間にか戦闘に加わり、秀秋の部隊と競
り合うように敵兵を倒していった。
 やがて追い立てられ、劣勢になった明・朝
鮮連合軍は退却しはじめた。しかし、日本軍
にそれを追撃するだけの余力はなく、戦いは
終った。
 戦場が静まり返ると、城内から、まるで無
人島で助けを待っていたかのような、やつれ
た清正がフラフラと出て来た。
 城の外では、騎乗したままの秀秋が面頬を
外して空を見上げ、鷹の回っている様子をポ
カンと見ていた。
 秀秋のその顔は、あどけなさの残る少年の
ようだった。
(この若武者が、あの総大将)
 清正は秀秋のことをよく知ってはいたが、
戦う姿を見たのはこれが初めてで、日ごろの
様子とはまるで違い、それは武者絵に描かれ
た源義経が出てきたように思えた。そして、
雄姿に、幻惑されているかのようだった。
 秀秋をよく見ると、使い古された鎧を身に
まとい、老練な野武士の風格さえ漂わせてい
ることにさらに驚かされた。
(よほど鍛えられたとみえる)
 清正に気づいた秀秋は、まぶしそうに目を
細め、睨みつけるような表情をしたかと思う
と、すぐに屈託のない笑顔を見せた。
 しばらく向き合った二人は夕日に照らされ
影となった。
 秀秋は、蔚山城に籠城していた者たちの労
をねぎらうと、すぐに釜山浦城に戻った。
 この功労のためか秀秋には、日本から帰る
ようにとの命令がこなくなった。そこで、朝
鮮にしばらく留まることにし、春を過ぎた頃、
日本に帰ることが決まった。
 朝鮮で地獄のような惨状が続くさなかに、
日本では秀吉が極楽浄土を満喫していた。