2013年7月23日火曜日

球形論争

 羅山と弟の信澄が、松永貞徳に連れられて
南蛮寺を訪れると、そこにいるほとんどが日
本人なのだが、どこか異国のような雰囲気が
あり、宗教を信仰している者が放つ独特のま
なざしで快く迎えられた。
 三人は信者に案内されて教会堂に入り、そ
の一室でハビアンが待っていた。
 四人は少しぎこちなく挨拶をすませると、
羅山の問いから論争が始まった。
「では、お尋ねいたします。ハビアン殿が言
われる大地が球形とするならば、その上下は
どうなっているのですか」
「お答えいたします。例えばこの地を毬(マ
リ)のようなものとお考えください。毬の表
面は私たちが暮らしている地上であり、毬の
中が地下となります。ですから毬の表面だけ
で上下ということはありません」
「それはおかしい。万物には皆、上下、裏表
がある。毬にしても、どこかを上とするなら
ばその反対は下となる。毬の中を下とするの
は詭弁ではないですか。私たちはこの地を平
らなものと考え、千年以上も何の不自由もな
く生活しているではありませんか。それに東
西南北もあります。これが球形ならどうなる
というのですか」
「東西南北は人が決めたものであり、地上に
はっきりと刻まれたものではありません。例
えば、舟で東に向かってまっすぐに進むとま
たもとの場所に戻ってきます。西に向かって
進んでも同じです。ですから毬のようにこの
地は球形なのです」
「それは東西南北がないと言われているので
すか。舟でまっすぐに進むと言われるが、海
には荒波もあり、風雨にあうこともある。自
分ではまっすぐに進んでいるようでも方角を
見失うことがある。地が平らでも一周すれば
元の場所に戻ることもあります。それだけで
この地が球形と言われるのは浅知恵としか言
いようがない」
 ハビアンは自分で球形だということを実際
に確かめたわけではなく、神父たちから聞い
たことを喋っているだけで、証明する術がな
かった。なお、室町時代には、すでにポルト
ガル人のマゼランが世界一周をしているが、
航路はまっすぐに進んだわけではなく、地が
球形というはっきりとした証明にはならなかっ
た。
 南蛮寺にはキリシタン信者だけではなく、
ハビアンと羅山が論争をしているという噂を
聞きつけた庶民も集まって来ていた。
 今度は、ハビアンが問いただした。
「では、羅山殿は日や月が丸いのをどのよう
に考えておられるのですか」
「丸いからといって球体とは限らない。丸い
盆や銭のような形をしていて、丸い面をこの
地に見せているのです」
「月には満ち欠けがありますが、その影は球
体にできる影と同じではありませんか」
「それは……。その影自体が丸いのです。ハ
ビアン殿も影絵をご存知でしょう。何か物の
影が月にかかっているのです。日々、形の違
う物の影がかかるので、月の満ち欠けにも変
化があるのでしょう」
「そうでしょうか」
 ハビアンはそう言って、側に置いてあった
箱から、凸面鏡とプリズムを取り出した。
「かの地では、このような道具を利用して日
や月を調べ、真実を解き明かそうとしており
ます」
 羅山は、ハビアンから手渡された凸面鏡と
プリズムを物珍しく見て、使い方も教わり、
プリズムが作り出す虹色の光に、側で見てい
た松永貞徳が驚いた。しかし、これを羅山は、
反論のきっかけにした。
「このような物で民を幻惑しているのですか」
「いえ、これは幻惑ではなく、事実を見せて
いるのです」
「では、お尋ねします。月には絵柄がありま
しょう。兎が餅をついているような絵柄に見
えると言う者もいます。それがいつ見ても同
じなのはどうしてですか。月が球体なら、絵
柄の位置がずれることも別の絵柄が見えるこ
ともあるでしょう」
「……」
「日や月が球体ではなく丸い面をこの地に見
せているからこそ、絵柄がいつ見ても同じな
のです。それはこれで見てもはっきり分かる
はず」
 そう言って、羅山は手にした凸面鏡とプリ
ズムをハビアンにつき返した。
 ハビアンは、地球や月が自転していること
は知らず、コペルニクスやガリレオの太陽を
中心とする地動説は、まだキリシタンの中で
も異端とされていたので、反論に使えなかっ
た。