2013年7月24日水曜日

妙貞問答

 ハビアンは、このまま論争をしても信仰と
は関係ない話になり、キリシタンへの理解は
深まらないと感じた。そこで、自分の書いた
書物「妙貞問答」三巻を取り出し、羅山に読
むように促した。
 しばらく目を通していた羅山は、本の感想
を話し始めた。
「この地で永い間信仰されてきた宗教は、他
の宗教も認め、そのためキリシタンも容易に
受け入れてきた。だが、この本にはそれらの
宗教をいっさい認めず、キリシタンのみが真
に信ずるべき唯一の宗教と言わんばかり。ま
るで、宗教の天下統一を目論んでおられるよ
うですね。それではハビアン殿にお尋ねしま
す。キリシタンは『隣人を愛せよ』と説いて
いるそうだが、他の宗教はなぜ愛せない。認
めないのですか」
「それは、キリシタンが他の宗教から弾圧さ
れてきた歴史によるものです。ゼウス様は『争
う相手を愛せ』とは申してはおりません。人
は学んで成長するもの、昔から伝えられてき
たことや信仰が全て正しいとは限りません。
それを正して、人を導く者が必要ではありま
せんか。キリシタンが弾圧されても、この地
にまで広まっていることは、その役割がある
ことを、ゼウス様が示しているのです。羅山
殿が言われるように、宗教の天下統一は自然
の流れかもしれません。この地がまさにそれ
を体現してきたではありませんか。織田信長
公に始まり、豊臣秀吉公、そして、今の徳川
家康様へと、天下統一は民衆を安泰にするも
のです。他の宗教に統一を阻むものがあれば
それは廃れるのもしかたのないことです」
「そのゼウスとかいう、そなたらの天主が、
はたして信長公、秀吉公、大御所様と同じく
する者か、誰にも分からないのではないです
か。その者は争いの火種になるだけかもしれ
ん」
「ゼウス様は万物を創造された神です。自ら
お造りになった物をむやみに壊したいと思う
はずがありません。ただ、造った物は時がた
てば古くなり、用のなくなるものもありましょ
う。それらを取り除いているに過ぎません」
「ハビアン殿は『無用の用』をご存知ないよ
うだが、まあよい。では、取り除いた物はど
うなるのですか」
「どうなると申しますと」
「我らの信仰では、死後、再び生まれ変わる
のだが、そなたらはどう説かれているのです
か」
「死んだ物は土にかえるだけで、生まれ変わっ
たりはしません」
「では、天主も死ねば二度と生まれ変わった
りはしないということか」
「ゼウス様に死はありません。永遠不滅です」
「では、その天主を造った者は誰ですか」
「ゼウス様を造った者などいるはずはありま
せん。それが神なのですから」
「万物は天主が造ったというが、その天主は
造られたものではないと言い、万物は死ぬと
二度と生まれ変わらないが、天主は死ぬこと
さえないと言う。これはそなたらに都合のい
い作り話としか言いようがない」
 ハビアンは困り果てた。神の生みの親を言
い出せばどこまでいってもきりがない。ゼウ
スのような唯一絶対の存在を説くことなどで
きるはずがなかった。
 どう説明していいか考え込むハビアンに、
たたみかけるように羅山は問いただした。
「では、天の本体と天主とではどちらが先に
あるのですか」
「天主はもとになるもので先にあり、天の本
体は天主の用いるもので後にあります」
 羅山は念を押すように、部屋にあった器を
指差して言った。
「そこにある器は天主と同じで、その器を作
ろうと考えることが天の本体と同じだと言え
る。だから天主は後で天の本体こそ先になり
ます」
 それに同意できないハビアンは別の例えで
反論した。
「それは違います。よいですか、燈火があっ
て光が生まれます。燈火は天主で先にあり、
光が天の本体であり後ではありませんか」
「いやいや、燈火こそ天の本体であり、光は
天の本体がただ放っている後光にすぎません」
「ならば、羅山殿がおっしゃった器を作ろう
と考えることは一念が起きたことであり、そ
れより先に無念無想の境地があります。それ
が天主と同じです」
「無念無想は文字通り何も無いことで、それ
を天主と同じとは、天主が存在しないと言っ
ているようなのもです」
 羅山に加勢するように、松永貞徳が口をは
さんだ。
「いや、あははは。これは愉快。羅山先生が
疑問に思われることは核心をついて高尚だが、
それに対するハビアン殿の答えは未熟としか
言いようがない」
 これで論争はひとまず休憩となり、羅山は
小用で席をたった。
 不満のハビアンは信澄に八つ当たりした。
「儒者は自分たちが信じる太極と我らの天主
を混同している。このようなこと、若僧に分
かるはずはない。私は太極についてもよく分
かっている」
 信澄はその挑発にはのらず、ハビアンの動
揺をみて優越感で言った。
「怒り狂っているようですが、太極はハビア
ン殿が分かるようなものではありません」
 ハビアンは、羅山の弟でさえ落ち着き、全
てを見極めているような態度に、肝をつぶす
思いで黙った。