2013年7月28日日曜日

江戸

 慶長十二年(一六〇七)四月

 道春は、駿府城にいる家康に呼ばれた。
「道春、どうじゃ。少しはこの地に慣れたか」
「はっ。慣れましてございます。少し領地を
巡りましたが、見るもの何もかも、目を見張
るものばかりで、大御所様のご意向がよく反
映されていると思います」
「そうかそうか。火箭には驚いたろう」
「ご存知でしたか」
「ふむ。わしは何でも知りたがる癖があって
のぅ。道春もそれを分かって、領地を見て回っ
たと思うが」
「恐れ入ります。何もかもお見通しで」
「それはそうと、近く江戸に向かう。道春も
同道せい」
「ははっ」
「竹千代の様子も気になるところじゃが、道
春には秀忠に会ってもらう。あれはどうも頼
りがない。道春の知恵を少し分けてほしいも
のじゃ」
「恐れおおいことにございます。上様に拝謁
する栄誉を賜り、ありがたき幸せにございま
す。大御所様のご懸念が少しでもなくせるよ
う、微力ながら尽くしてまいりたいと思いま
す」
「よろしく頼む」

 それからすぐに江戸に向かい、三日後の四
月十六日に到着した。そして翌日、道春は江
戸城に登城して、秀忠に拝謁した。
 秀忠は、広間で平伏した道春の遠く前の上
座に着座した。
「苦しゅうない。面を上げい」
「はっ」
 秀忠はすぐに、道春を手招きして、近くに
来るように促した。
 道春は、側に置いた沢山の書物をかかえ、
座ったままにじり寄ったが、秀忠の手招きが
早くなり、立って近づいた。
 秀忠は、儒者の頭巾を被った道春の顔を怪
訝そうに眺め、何度か会ったことのある小早
川秀詮の顔を思い出して見比べていた。
 二人の間にしばらく沈黙があり、たまりか
ねた道春が書物の一つを選んでいると、秀忠
が唐突な質問をした。
「何があった。なぁ、何があったのじゃ」
「お恐れながら、何が、と申されますと」
「関ヶ原でじゃ。東軍が勝ったのじゃろ。な
のに、なぜ父上は負けたような剣幕で怒って
おったのじゃ。なにもわしは、わざと遅れた
わけではない。知らせが届いた時にはすでに
間に合わなかった。しかも、父上から預かっ
た大砲は運ぶのが大変でな。その上、天候が
悪くて地のぬかるみで思うように進めなかっ
たのじゃ。それなのに……。誰も本当のこと
を口にしようとはせん」
「負けたのです。大御所様は負けを認められ
たのです。俗人は、潔く負けを認めず、その
ため反省もいたしません。だから同じ過ちを
繰り返すのです。しかし、大御所様は違いま
す。素直に負けをお認めになり、そのどこに
問題があるのかを調べ、常に反省し、改めて
おられます。かつて大御所様は、三方ヶ原の
戦いで、武田信玄に完敗しましたが、そのお
り、ご自身の苦悩した姿の絵を描かせ、負け
たことを忘れないように、常に見ておられる
と聞きます。それは上様がご存知のことと思
います。だからこそ、天下を治めることがで
きたのです。それが大御所様の偉大なところ
なのですが、俗人にはそれがまったく理解で
きないのです」
「そなたには、それが分かったということか」
「あっ、いえ。私もなかなか負けを認めるこ
とができず。同じ過ちを繰り返す日々にござ
います」
「そっか、それで、そなたは、父上を助ける
気になったということか」
「……」
「よう分かった。これですっきりした。確か
にそなたの言うことはもっともじゃ。私も父
上を見習うことにしよう。道春か、良い号じゃ
な」
「ははっ」
 二人の間にあった壁が、崩れるように打ち
解けあった。
 その後、道春は秀忠に「六韜、三略」「漢
書」などを読み聞かせ、過去の有名な戦を例
にしてその要諦を説いた。
 秀忠はいちいちうなずき、自分のこれまで
の戦で疑問を感じていたことを道春に問い、
その過ちに気づいて反省した。

 道春が江戸に来て十五日目、明日は駿府に
戻るという日に、秀忠が唐突に切り出した。
「ところで道春には弟がおるそうじゃな」
「はい、三人おります」
「道春は父上の側にいることになるから、わ
しはその弟の一人、信澄を側に置きたい。す
ぐに江戸に呼べ」
「上様が信澄のことをご存知とは恐れ入りま
す。帰りましたらすぐに仕度をさせます」
「道春とはしばらく会うこともないだろうが、
父上をくれぐれもよろしく頼む」
「ははっ」
 次の日、道春は来た時と同じように、家康
に同行して駿府に戻った。
 それと入れ替わるように、朝鮮からの使節
として、正使の呂祐吉、副使の慶セン、従事
官の丁好寛の三使とその他、二百六十余人が
江戸に到着した。そして、秀忠に朝鮮王の書
簡を渡した。
 豊臣秀吉の朝鮮出兵以来、冷えきった日本
と朝鮮の関係に、ようやく改善の兆しがみえ
てきた。しかし、これは同時に豊臣家に対す
る責任追求の始まりでもあった。