2013年7月5日金曜日

合戦の余韻

 戦いの余韻が残る関ヶ原。

 三成が逃亡し、主のいなくなった陣屋は荒
れ果て、つかの間の勝利に沸いた残像が消え
ていった。
 家康は陣中に少しとどまり、お茶を飲もう
とするが、手が震えて定まらず、やっとのこ
とで飲んだ。
(かっ、勝った。これが惺窩が秀秋に伝授し
た兵法か。しかし、それを実践したあの小僧、
恐ろしい奴じゃ)
 家康は合戦の後、藤川の高地にあった大谷
吉継の陣屋に移動し、諸大名の拝謁に応じた。
 集まった諸大名は鎧を脱ぎ、酒を浴びるよ
うに飲み、誰もが、あわや負け戦からの勝利
に酔いしれていた。
 家康は、次から次へと諸大名の祝辞を受け、
それに満面の笑みで応えてねぎらった。
「皆、無事でなによりじゃ。皆のおかげで、
大勝利することができた。ありがとうな。あ
りがとう。ありがとう」
 頭を下げる家康に、一同は平伏すと、天下
を取った家康に喝采の声を上げ、また騒ぎ出
した。
 満足そうな家康だが、目は怒りに満ちてい
た。
 何もかも家康は不満だった。
 戦いに勝利はしたが、三成はまだ逃亡して
いる。なによりも三男の秀忠が、とうとう最
後まで合戦に間に合わなかった。
 この戦いは、後継者に選んだ秀忠の働きで
一気に片をつけ、徳川家の力を思い知らせた
うえで、天下に徳川の世になたことを号令し
てこそ意味がある。その段取りが全て狂った。
 もとはといえば、自分が家臣をせきたてる
ような発言をして勝利への欲をかきたて、秀
忠の到着を待てなかったのが原因だが、年の
せいか、気が短くなっていることに、この老
人は気づいていなかった。
 家康は、お祭り騒ぎで気が緩んだ諸大名の
姿を見てため息をついた。そして、よく見る
と秀秋の姿がそこにはなかった。
(そういえば、秀秋はまだ挨拶に来てないが、
どこにいるのか)
 秀秋は、関ヶ原から退去するとすぐに、三
成の集めた膨大な軍資金を領国へ持ち帰るた
めの準備を進めていたのだ。
 家康は、家臣を呼んで秀秋を探しに行かせ
た。それと入れ替わるように別の家臣が来て、
家康のもとにひざまずいて告げた。
「秀忠様がご到着なさいました」
 家康が今、一番聞きたくない名だった。
「わしは会わん」
 家康の怒りを感じた家臣は、一礼して、そっ
とその場を退いた。
 家康は、怒りと情けなさに地団駄を踏んだ。
 しばらくすると、諸大名がざわつき始めた。
 怒りが少し治まりかけた家康の耳に、諸大
名のざわめきが聞こえ、気になって皆が顔を
向けている方を見て、瞬間に表情が凍りつい
た。
「何じゃ、あれは」
 それは、騎馬隊が整然と列を連ねて近づい
てくる様子だった。その数、三百騎。
 騎馬隊の先頭には、まだ鎧を身にまとった
ままの秀秋がいた。
 皆、一瞬にして酔いが醒め、身構えた。
 家康は恐怖で顔が引きつった。
(秀秋が、何を……)
 秀秋は騎馬隊を停め、自分一人、馬から降
りると、家康の側にゆっくり近づいてひざま
ずいた。
「家康様、まずは合戦の大勝利、おめでとう
ございます。しかしながら、いまだ三成が逃
亡して行方が知れず、その追討と三成の居城、
佐和山城攻めの先鋒を、この秀秋にお申しつ
けください。どうか、伏見城攻めと、こたび
は命令を聞かず出陣した罪滅ぼしの機会をお
与えください」
 家康は、合戦に遅刻した秀忠や諸大名の気
の緩みとは対照的な、秀秋のそつのない態度
に涙を流して感激した。
「秀秋殿、よくぞ申された。よろしく頼む」 
 しかし、心には不安が渦巻いていた。
(徳川家はいずれ、こいつに滅ぼされる)
 秀秋は、一礼して立つとすばやく騎乗し、
馬を走らせた。それに続いて騎馬隊も、秀秋
を守るようにつき従い去って行った。
 あ然として見つめるしかない諸大名。
 家康の目が、企みの目に変わった。
(あれが我が子ならばのぉ。ほしいことよ。
災いの芽は摘まねばなるまい)
 この行動で秀秋は、家康に気づかれること
もなく、三成の軍資金を領国に持ち帰ること
ができた。