2013年7月8日月曜日

学問の実証

 秀詮が、もし荒廃していた領地を復興させ
れば、家康からその能力を警戒される。かと
いって荒廃したままにしておけば、処罰する
大義名分を与えることになる。
 どちらにしても生きる道はない。
 そこで秀詮は、藤原惺窩に伝授された帝王
学の教えを実際に試してみることを選び、そ
の結果、領地の備前と美作は目覚しい復興を
遂げたのである。
 このことは惺窩に知らされ、すぐに惺窩は
秀詮のもとを訪れた。
「これほどまでに効果があったとは」
 惺窩は、自分の学問の凄さが実証できたこ
とを喜んだが、反面、秀詮の身の危険を案じ
た。しかし、秀詮は意に介していなかった。
「どのみち、目をつけられるのなら、惺窩先
生の学問が実を結んだことだけでも後世に伝
われば本望です」
 秀詮は、すでに覚悟を決めていた。しかし、
どうしても護りたいものがあった。
 秀詮と正室との間に世継ぎとなる子はいな
かったが、誰にも知られず囲っている側室と
の間に、ひとりの男子がおり、今またもうひ
とり身ごもっていたのだ。

 ある日

 食事の後、体調の異変を感じた秀詮は、ひ
とり稲葉正成を呼んで、全てのことを打ち明
けた。
「どうやら家康が動き出したようだ。……ひ
と思いに殺せばいいものを。俺は命などほし
くはない。しかし、実は俺には誰にも知られ
ていない女に産ませた子がいる。その女と子
らだけはなんとしても護りたい。正成、頼む、
救う手立てを考えてくれ」
 話を聞いた正成は戸惑った。
 いずれは家康のもとで出世しようと、すで
に準備をしていたからだ。しかし、秀詮が唯
一、自分に心を許し真実を打ち明けてくれた
ことに心が動いた。ただ、自分だけでは家康
に立ち向かうことなどできない。そこで、秀
詮を救う手立てを見つけるため、藤原惺窩の
もとに向かい意見を聞いた。
「食事に毒を盛られたか。しかし、殺さなかっ
たということは、病に見せかけるつもりか。
先の合戦で豊臣恩顧の大名が良い働きをした
ことが幸いしたな。うかつに殺せば離反する
者も多くいよう。それが秀頼とつながれば、
今度こそ天下は二分する。よし、まだ時間は
ある」
 日頃は冷静で的確に判断する正成が、今は
惺窩の指示を待つことしかできないほど混乱
していた。
「正成殿は、密かに毛利に行き、お家断絶と
なった場合、秀詮様の家臣の受け入れをして
くれるかどうか探りなさい。小早川の名を返
上すると言えば、無下にはできないでしょう。
側室と子のことは、今はほっときなさい。そ
のほうが安全です。私は解毒薬を用意します」

 この頃、秀詮は、大坂にある岡山藩の藩邸
に来ていた。
 その後も、体調は悪化する一方で、食事の
前には幻聴、幻覚に悩まされ、食事を摂ると
気分が良くなるといった状態を繰り返してい
た。
 そんなある日、秀詮の兄、木下勝俊がふらっ
とやって来た。
 勝俊は、豊臣秀吉の縁者というだけで播磨・
龍野城主になり、後に若狭・小浜城主となっ
た。
 北条の小田原征伐や朝鮮出兵にも参陣した
が、移動の途中に歌を詠むなど、戦う緊張感
はまったくなく、すでにこの頃から、武士と
しての気質に欠けていた。
 関ヶ原の合戦後は、京の東山に隠居し、歌
人として生きる道を選んで、名を長嘯子(ちょ
うしょうし)と改めていた。
「秀秋はどこか身体が悪いのか。惺窩先生か
ら薬を預かってきた」
「それはありがとうございます。なに、たい
したことではありません。少し疲れが出ただ
けです」
「それならよいが。無理をせんように。惺窩
先生がおっしゃるには、薬は五種類あって一
つずつ服用するように、身体にあわないもの
は発疹が出るから止めるように。全てあわな
ければ別の薬を用意するとのことだ」
「そうですか。ありがとうございます」
 長嘯子の目には、秀詮が落胆したように見
えた。
「秀秋どうじゃ、いっそ、わしのように隠居
しては。もう刀や槍を振り回す時代でもある
まい」
「はい。そうですね。それもいいかもしれま
せんね。しかし、私には兄のように歌の才は
ありませんし……」
「なになに、秀秋は幼き頃より、遊びの才が
あったではないか。何でも良いのじゃ。まだ
若いのだから気長にやりたいことをみつけれ
ばよい」
「はい。兄上と話していると気分が晴れます」
 秀詮と長嘯子は時を忘れて話し込んだ。
 その頃、惺窩の指示を受けた稲葉正成は、
密かに長門の毛利家に向かっていた。