2013年8月1日木曜日

易姓革命

 道春はこの頃、家康に度々、「易姓革命」
について問われることが多くなっていた。
「道春、明では古代から、天が徳のなくなっ
た君主を革め、新しい君主に変えるというが、
その天命をだれが聴くのじゃ」
「それは君主が悟り、自ら位を譲ることがあ
り、また民衆の不満を聴いた徳のある者が、
力によって君主を変えることもあります」
「では、天は武力をもって戦をすることも認
めるというのじゃな」
「それはそうですが、徳のない者が君主を変
えたところで、天は味方いたしません。先の
織田信長公を自刃に追い込んだ明智光秀が良
い例です」
「なるほど、すぐに見放されるということか。
では、徳があるかないかはどうして分かる」
「良い政(まつりごと)をしていれば、世は
乱れることはありません。仮に世が乱れたと
しても、一時的なことですぐに鎮まります。
そこには徳があるからです。しかし、世の乱
れが永く続き、それを鎮めることができなけ
れば、それは徳を失ったと言えるのではない
でしょうか」
「今はどうじゃ」
「はい。今は大御所様により乱世を終わらせ、
その後、すぐに上様に征夷大将軍の位を譲ら
れたことで、世は鎮まっております。これは
ひとえに大御所様のご威光と上様の徳があっ
たればこそと推察いたします」
「そうではない。この永い乱世が続いたこと
は帝の徳がないからとは思わぬか」
「帝……。まさか、大御所様は……」
「わしや秀忠は、帝の家臣にすぎん。この国
の君主は帝であろう」
「お恐れながら、帝は天照大神がこの地に現
れたお姿であり、天そのものにございます」
「そうだとしたら、今までの君主は帝が決め
たことになるが、そのようなことは、信長公
や秀吉公の時にはなかった。わしとて同じこ
と。秀忠に位を譲ったのは、わしの意思じゃ。
それを後で位を認めるというやりかたは天で
はなく、家臣を束ねる君主のごときじゃ」
「しかしそのようなこと、帝がお認めになる
でしょうか。この世が認めるでしょうか」
「そこじゃ。今は秀忠と秀頼のどちらが君主
かはっきりしない。君主不在の状態じゃ。こ
うしたことが起きたのは、帝が天ではなく君
主であり、君主が家臣を束ねる徳がないから
じゃと思わんか。それを帝に悟らせ、自ら位
を譲らせたいのじゃ」
「もしや、お恐れながら大御所様は、君主に
仕える家臣の地位を代々、受け継ごうとされ
ているのですか」
「そうじゃ。徳川は武家の棟梁として君主で
ある帝に仕え、政務をおこなっている家臣に
すぎん。けっして、信長公や秀吉公のように、
君主のごとき振る舞いをすることはせん」
「ははっ。恐れ入りました」
 道春は、家康の知略のすごさを思い知った。
 それから間もなく、後陽成天皇は、四十一
歳という若さにもかかわらず、十五歳の第三
皇子、政仁親王(この後、後水尾天皇)に位
を譲ることになった。
 家康が京でおこなわれる即位の礼に行く時、
道春も同行した。
 この出来事は嵐の前触れにすぎなかった。