2013年8月10日土曜日

法師武者

 道春は、駿府の自宅で弟子らと供に旅支度
で慌しくしていた。
 側で叔勝に立つ練習をしている亀が、不満
そうな顔をして見ていた。
「なぜ旦那様が戦なんぞに行くことになった
のですか」
「私は戦の様子を書きとめるために行くのだ。
崇伝殿も行かれるが一人ではこの大戦を観る
ことはできまい」
「そのようなことは他の者でも、後から聞い
て書いてもよいではないですか。危のうござ
います」
「それでは大御所様が納得せん。心配はいら
ん。こたびは芝居の顔見世のようなものじゃ」
「そうなのですか。無事で帰って来てくださ
いね」
「ああ、叔勝をよろしく頼む」
 叔勝は無邪気に笑って、道春にだっこをせ
がんでいた。
「いまはだめじゃ。だぁめ。母を頼んだぞ」
「そのようなことを言われたら不安になりま
す」
「すまんすまん。もう分かったから、側でご
ちゃごちゃ言われると仕度が進まん。外で遊
んでおれ」
「はぁい」
 亀は、しぶしぶ叔勝を連れて外に向かった。

 慶長十九年(一六一四)十月十一日

 家康は駿府を出発し、二十三日に京・二条
城に入った。
 同行した天海、崇伝、道春は、南禅寺金地
院に入り、「年代略」「神皇系図」などの大
量の古記録を他の僧侶も加わり、五十人で写
本する作業に専念した。
 十一月十日には、秀忠が江戸から到着し、
伏見城に入った。これにより、家康は十一月
十三日に大坂に向けて出発することにしてい
たが、天海、崇伝がともに日が悪いと凶を託
宣したので、十五日に延期し出発した。
 道春は、崇伝と医者で僧侶でもある片山宗
哲と一緒に、家康の側につき従った。
 十七日に奈良から住吉に向かう時、家康は、
道春、崇伝、宗哲に武具を身に着けるように
命じた。
 崇伝、宗哲の鎧姿は、着慣れていないとす
ぐに分かる着心地の悪さをみせていた。それ
に比べ、道春の鎧姿はしっくりしていた。
 崇伝が体をゆすりながら何気なく言った。
「道春殿は似合いますな」
 道春は、とぼけて返事をした。
「そうでしょうか。自分ではよく分かりませ
ん」
 しかし、本心は、久しぶりの鎧に気分が高
揚し、笑みがこぼれそうになってくるのを隠
すのがやっとだった。
 家康と大勢の家臣団の前に、三人が鎧姿で
現れると、家康がニヤリと笑って言った。
「どうじゃ。我らのもとには三人の法師武者
がついておるぞ」
 辺りがドッとざわつき和やかになった。
 これは、家康が好んだ能、幸若舞の「堀河
夜討」の一節に「我らが手に三人の法師武者
あり」を再現し、大戦を前に、士気があがる
のを狙ったものだった。
(道春め、鎧を着ると生き生きしおって。あ
やつにまた頼ることになったか)
 家康の目には、緋色の羅紗地の陣羽織をま
とった小早川秀詮と道春がだぶって見えてい
た。