2013年8月11日日曜日

大坂城、集結

 大坂城には、北、西、東に川があり、特に
大和川と淀川の合流する北側は、そのまま大
きな堀として本丸の近くを流れていた。そし
て川の内側には、二重の堀が渦を巻くように
設けられ、敵の侵入を防いでいた。しかし、
この城には南側からの攻めに弱いという欠点
があり、豊臣家の呼びかけに応じた真田幸村
は、すぐさまそれを補うために堀から張り出
した曲輪を造った。
 幸村の他に集まった十万人の浪人たちの中
には、長宗我部盛親、後藤又兵衛、毛利勝永、
明石全登など、勇猛な武将も多く、関ヶ原の
合戦で苦杯をなめた恨みをはらそうと、闘志
をもやす者も多数いた。そのため、進軍する
徳川勢を先制攻撃することも話し合われたが、
淀の側近、大野治長らの主張する城の外に数
箇所の砦を築き、籠城する策が押し通された。
 更に豊臣勢は防御のため、淀川の堤を壊し、
城の周りを水に沈めて徳川勢を近づきにくく
しようと動いた。
 それを察して駆けつけた本多忠政、稲葉正
成らがこれを阻止して徳川勢の到着を待った。
 二十万人の大軍となった徳川勢は、ゆっく
りと大坂城を四方から包囲していった。その
中には、福島正則や黒田長政など、これまで
永く戦ってきた武将は加わらず、その子らが
参陣して世代交代が進んでいた。
 道春にとっては、小早川秀詮のことをあま
り知らない者が多くなっていたため動きやす
く、それも家康が連れてくる気になった理由
の一つと理解した。
 大坂城の南にある茶臼山に布陣した家康は、
少し疲れたように床机に腰をおろした。その
側に、医者で僧侶の片山宗哲がすぐに近づき、
脈診をした。
 この時、七十三歳の家康の身体には、過酷
な戦だったが、天下を子孫に引き継ごうとす
る執念が、信じられない生命力を保たせてい
た。
 道春は、崇伝と供に大坂城を眺めていた。
 城の周りを徳川勢の掲げた無数の幟や将兵
が身につけた旗指物がキラキラと錦に輝いて
いた。これは、かつて九歳の時に豊臣秀吉と
見た小田原征伐の光景と同じだった。
 崇伝が独り言のように言った。
「これでは勝負になりませんな」
 誰の目にも徳川勢の圧勝としか見えない光
景だった。
 道春は冷めた口調で応えた。
「そのようですね。私たちが記するべきこと
もあまりないように思いますが」
「それでよいではないか。まだ寺にある古記
録の写本がやりかけだから、早々に帰って、
続きをしましょうぞ」
「はい」
 崇伝は冬の風が急に寒く感じ、身震いして
立ち去った。しかし、道春は一点を見つめた
まま動こうとはしなかった。それを見た家康
が道春の側に近づいた。
「大御所様。お休みにならなくてよろしいの
ですか」
「なあに、大丈夫じゃ。道春、皆の布陣はど
うじゃ」
「これまで各部隊が城外の砦を落とし、城を
包囲したところまではお見事としか言いよう
がありません。しかし、こうなっては誰もが
兵糧攻めと思うて、長期戦の構えをいたしま
しょう。そうなれば士気が落ちます」
「そうなのじゃ。それで、道春ならどうする」
「お恐れながら、私にこのような大戦の先行
きなど、読むことはできません」
「何を申す。道春はかつて、伏見城、佐和山
城の攻略に加わっておろう。その経験をふま
えて申してみよ」
「……。では、申し上げます。あの岡山に布
陣しておられる上様のお姿を真田幸村に見せ
ることです。上様には先の上杉征伐で、真田
との遺恨がおありです。幸村は戦うためにこ
こにやって来ており、籠城して死ぬことなど
考えておりませんでしょう。上様をあなどっ
ている幸村は、上様の悠然とした姿を見れば、
必ず挑発してきます。それが部隊の士気を高
めましょう」
「よい読みじゃな。わしもそれを考えて、秀
忠を真田の曲輪近くに布陣させたのじゃ。ど
うじゃ、そちが秀忠にそれを伝えに行っては
くれぬか」
「はっ」
「それから、稲葉が大手柄を上げておるそう
じゃ。行って、わしが礼を申しておったと、
伝えてまいれ」
「はっ」
 道春は、すぐに立ち去り、秀忠の布陣した
岡山に向かった。