2013年8月12日月曜日

真相

 秀忠は、関ヶ原の合戦に間に合わなかった
負い目を、この戦で払拭しようと、神経をと
がらせていた。その雰囲気に、周りの家臣も
ここだけは士気が高い。
「何者じゃ」
 秀忠の陣屋を警護していた兵卒に怒鳴りつ
けられて、道春はとっさに身をすくめ、無抵
抗の姿勢を示した。
「上様に、道春が大御所様のお言葉を伝えに
来たと、お伝えください」
 それを聞いて少しひるんだ兵卒は「しばし、
そこで待っておれ」と言って秀忠のもとに向
かった。
 少しして、血相を変えて戻ってきた兵卒に
入るように促された。
 陣内で床机に座った秀忠の前に通された道
春は、立て膝で座り頭を下げた。
「おおぅ。道春、面を上げよ。久しぶりじゃ
な」
「はっ。上様にはご健勝のご様子で、なによ
りでございます。早速ですが大御所様のお言
葉をお伝え申し上げます。『上様には城の近
くにご出馬いただき、真田にそのご勇姿をお
見せするように』とのお言葉にございます」
「なに。そうか。やっとわしの出番がきたか。
父上はわしの気持ちをよう察してくれた。よ
し、すぐに出馬しよう」
「では、私はこれで失礼いたします」
「まあ待て。この挑発で真田はどうでる」
「お恐れながら、真田は上様に罵声を浴びせ
ましょう」
「そうじゃろうな。その罵声に、わしは耐え
られるかのう」
「上様が耐えられないほどの罵声が真田から
でるようなら、真田の負けにございます」
「なるほど、そういうことも言えるな。なら
ばわしは、おおいに罵声を浴びてこよう」
「はっ、上様のその勇敢なお姿が必ずや、こ
の戦の剣が峰になり、お味方の奮闘を促しま
しょう。まこと、常人には真似のできないこ
とにございます」
「道春はのせ上手じゃな」
 秀忠は高笑いしながら出て行った。
 秀忠のその後ろ姿を見送る道春は、しばら
く見ないあいだに貫禄がつき、計り知れない
器の大きさを現し始めたことに驚嘆し、頭を
下げた。
 道春は、秀忠の陣屋をあとにすると、そこ
から東、河内枚方の稲葉正成の陣屋に向かっ
た。
 秀忠の陣屋とは比べものにならない、帷幕
が張られただけの質素な陣屋で、正成は道春
を迎え入れた。
 床机に座った正成の前に、道春が立て膝で
座り、頭を下げて言った。
「大御所様からのお言葉を、お伝えに参りま
した」
 その言葉を待っていたかのように、正成は
すぐに立ち上がった。
「それでしたらどうぞこちらに」
 道春は、正成に促されて場所を入れ替わり、
立った道春の前に、正成が立て膝で座り、深々
と頭を下げた。
「それでは、大御所様からのお言葉を、お伝
えいたします。『こたびの、大阪方による謀
略阻止に稲葉殿の大いなる働きがあったとの
こと。家康、この戦の勝利を確信した。おっ
て褒美を与えるゆえ、これからも存分に働い
てもらいたい』以上です」
 そう言うと道春は、すぐに元の場所に戻ろ
うとした。
「まま、もうしばらくそのまま、そのまま、
腰掛けてください」
 道春は少しためらったが、しかたなく床机
に座った。
「今は大御所様の名代ですから、それでいい
のです。また、こうして、あなた様の鎧姿に
お目にかかれるとは……」
 二人は感無量で目頭をあつくした。
「正成のおかげじゃ」
 道春の口調は自然と小早川秀秋に戻ってい
た。
「いえ。あなた様のお働きによるものです。
それはそうと、こたびは兵糧攻めにするのが
上策。しかし、出撃準備をするようにとのふ
れがきましたが、これはどういうことでしょ
うか。何かご存知ありませんか」
「こたびは兵糧攻めはせん。しばらく戦った
後で、和睦するようじゃ。大御所様は関ヶ原
の合戦で多くを学ばれた。力ずくで押し通す
よりも、一歩引くことで、相手をこちらの意
のままに動かす。わしらがそうしたようにな」
「……では、再び大戦をすることになるので
すか」
「そうじゃ。それが最後の決戦じゃ」
「なぜ、そのようなことに」
「一つには大御所様の体調じゃ。長期の戦に
はもう耐えられん。それに、正成には、これ
の本当の意味が分かるじゃろう」
 道春はそう言って、持参していた白紙に「国
家安康、君臣豊楽」と書いて正成に渡した。
「それは東山方広寺の梵鐘に刻まれた銘文じゃ。
それを『大御所様の名を分かち、豊臣家を君
主として繁栄を願っている』と読み取って騒
ぎ、こたびの戦となった。どうじゃ正成」
「確かに、大御所様の名を分けていますが、
豊臣が逆になっております。これは豊臣の滅
亡を意味するのでは。……家康が国を安泰に
し、豊臣を滅ぼすことは、君の望むところ……。
これは、帝の勅命ではありませんか」
「そうじゃ。前の帝は突然、今の若い帝に譲
位された。あるいはそのことに、これが関係
しているのかもしれん」
「もしかすると大御所様が前の帝に、この勅
命を迫り、それを拒否されて今の帝に譲位さ
れたということですか」
「そうだとすると、大御所様はすでに帝をも
動かす力を手に入れたことになる。それどこ
ろか、大御所様は帝になろうとされているの
ではないだろうか。西の帝と並び立つ東の帝
になり、いずれは、西の帝をも手中にするお
考えかもしれん。帝を替えるには帝になるし
かない。それが大御所様のお考えになる易姓
革命なのかもな」
「そんなことをすれば、世は乱れましょう」
「だから世を乱さないための、この大戦なの
じゃ。武士をことごとく殺し、その力を奪う。
この世で二度と戦をしないための最後の戦じゃ」
「このこと、淀殿は気づいておられるのでしょ
うか」
「淀殿は、梵鐘に刻まれた銘文を考えたのは
南禅寺の文英清韓長老だと信じている。だが
『国家安康、君臣豊楽』に騒いだ崇伝殿は南
禅寺金地院の僧だ。おそらく大御所様に命じ
られて、清韓長老にこの銘文を入れるように
伝えたのであろう。だから淀殿は大御所様の
仕組んだこととは、思いもよらないだろうが、
帝が清韓長老に託した勅命であると、考えて
おられるように思う。その覚悟を決めての戦
じゃろう。ただし、たんに勅命を受け入れた
だけではないようにも思う。淀殿は、太閤様
のやり残したことを成し遂げようとしている
のではないだろうか。正成は朝鮮出兵を武士
の力をそぐためとは感じなかったか」
「今にして思えば、そのようなこともあった
のかもしれません。朝鮮に行った諸大名は、
ことごとく衰退しております。では、淀殿が
多くの浪人を集めたのも、それら武勇の者を
道ずれにして死ぬということですか」
「淀殿は死なないだろう。それが浪人たちを
戦わせる闘志の支えになっておるからな。大
御所様と淀殿の思惑は違うが、目指すところ
は一致しているように思う。これからは力だ
けの武士の世は終わり、知恵を働かせる策士
の世になるのかもしれん」
「では、私がこたび手柄をたてたことはまず
かったのでは」
「それはもう過ぎたこと。これからは、あま
り力を見せつけぬことじゃ」
「はっ」
「おお、もうそろそろ戻らねば、正成殿、命
を粗末にせず、目立たないように」
「道春殿もお気をつけて」
「あっ、そうそう、忘れるところでした。兄
の知らせで、お福殿が奥の総取締役になって
おるそうです」
「それは困りました。まだあれも目立たぬほ
うがよいのですが」
「成り行きですからしかたありません。どこ
のおなごも強うなってかないません」
「そういえば、道春殿も妻をめとり、子がで
きたとか」
「正成殿は相変わらず地獄耳ですね」
「恐れ入ります」
 外で、ときの声と供に銃声が鳴り響いた。
その音に道春がすかさず言った。
「催促鉄砲じゃ。さあ戻ろう」
「私も出馬いたします。目立たぬように」
「ではな」
 二人は名残惜しむように会釈して別れた。