2013年8月15日木曜日

秀頼の本心

 再び戦になることが誰の目にも明らかになっ
た頃、秀頼は、真田幸村と毛利勝永を密かに
呼んだ。
 その居場所には淀もいたが、聞き役に徹し
て、最後の采配を秀頼に任せ、四人だけの密
談は静かに始まった。
「幸村殿、勝永殿、城はご覧の有様。もはや
勝ち目のないことはお分かりのことと思う。
ご両人には豊臣家のために、過分のお働きを
していただいた。この秀頼にはその恩に報い
る術がない。かといって、手ぶらで徳川に下
ることもできまい。どうかこの秀頼の首と母
上の首を討ち取り、ここに残した軍資金と一
緒に徳川へ下ってはもらえんだろうか。それ
でご両人の助命にはなろう」
 幸村は、怒りとも悲しみともつかない表情
で応えた。
「お恐れながら申し上げます。こたびの戦、
最初から勝ち目はございませんでした。それ
でもあえて我らを集め、戦をしたのは何故で
すか。この期におよんで徳川に助命を請うな
ど、天下の物笑いになれとおっしゃられるの
か」
 その言葉に勝永も付け加えるように言った。
「この勝永も幸村殿と同様。そのような浅ま
しい考えでこの地に留まっているのではござ
いません。まだ我らをご信用いただけないの
ですか」
「いや、ここに集まった方々の忠義を疑う気
持ちは微塵もない。戦を甘く見ていたわけで
もない。これは豊臣家の、天下統一を果たし
た亡き太閤様の子の意地じゃ。その意地はと
おした。それがご両人の命を賭してのお働き
を見て悟ったことじゃ。これ以上の戦は我欲
であり、多くの民を苦しめるだけではないか
と思ったのじゃ」
 幸村が反論した。
「我欲は徳川ではござらぬか。豊臣家が築い
た天下泰平の世を掠め取ろうとする極悪非道。
それが、民を苦しめている元凶にございます」
「その天下泰平も、父上の朝鮮出兵により夢
と散ったではないか」
 続いて勝永も反論した。
「お恐れながら、朝鮮出兵は、かの地にも天
下泰平を広めんがためにおこなったこと。そ
れを認めた五大老の一人、家康殿にも責任が
あるのではないでしょうか。家康殿はそれを
あえて見逃し、その隙に、おのれの領地を広
げておられた。これを盗人と言わず、なんと
言うのですか」
「いや。ご両人のお気持ち、よう分かりまし
た。秀頼の軽薄を恥じるばかりです。しかし、
なぜご両人はそこまで豊臣家のことを思って
おられるのか。父上はご両人にどれほどのこ
とをしたというのですか」
 幸村が、やっと表情を和らげて応えた。
「私にではなく領民にです。秀吉公は、地獄
のような乱世から領民を救い、生きる術と希
望をお与えくださいました。その恩は、子々
孫々伝えられるべきものでございます。領民
の恩は領主の恩。その恩に報いるのは領主の
務めにございます」
「この勝永も、幸村殿と同じ気持ちにござい
ます」
「領民のために、ご両人は命を賭すと申すの
か。……父上は良い家臣に恵まれたから天下
統一できたのじゃな。よし、ご両人には隠し
立てせず、秀頼の本心をお話いたします」
 幸村と勝永は、姿勢を正して秀頼の本心を
聞いた。
「ここが死地であることには変わらない。討
ち死に覚悟で出陣し、徳川勢に一矢報いるの
も一案。ご両人とならそれも悔いはない。し
かし、それでは徳川家を喜ばせるだけで、残っ
た領民には恨みと苦難が残り、新たな乱世を
生み出すかもしれん。すでに、一揆が起きて
いるところもあると聞く。天下泰平の世を乱
さないためには、徳川勢に一矢報い、更に、
徳川勢を出し抜いてこの地から密かに遁れる
ことではないだろうか。もといこの秀頼、た
だ生き延びたいがために言っているのではな
い。徳川家に従わぬ者が、この世のどこかに
いるということで、天下を安穏と治めさせな
いためじゃ。ただし、わしは千と子らを残し
ていく。豊臣家は二度とこの世に現れない証
じゃ。こたびの戦で多くの血を流すことにな
る。その報いは、わしと母上が生き地獄に身
をおくことで、すべて受けるつもりじゃ。こ
れがわしの本心。ご両人に卑怯者とののしら
れてもよい。わしは秀吉公のような神にはな
れん。ただの人じゃ」
 幸村がしばらく考えて口を開いた。
「卑怯者なのは、我らかもしれません。殿に
重荷を背負わせて戦をしようとしているので
すから。しかし、よくそこまでお考えになら
れました。このお方を徳川勢に殺させるわけ
にはいかん。なあ、勝永殿」
「はい。まことによう本心を明かしていただ
いた。これで、我らは心置きなく戦えます。
ところで、もうすでに遁れる術は整っておる
のですか」
「いや、それが完全には整ってはおらん。こ
の城の地下には淀川に通じる坑道がある。そ
の坑道までの通路をどこに掘るかが、まだ決
まっておらんのだ」
 勝永が察して言った。
「それは、私にお任せ願えませんか。密かに
掘るには多少の時間はかかりましょうが、我
らの兵には石見銀山にいた者もおり、穴掘り
には慣れております。早急に通路を掘ってご
覧に入れます」
 幸村が付け加えた。
「それには、わしの兵も手伝わせよう」
「勝永殿、幸村殿。秀頼、礼を申します」
 秀頼は目を潤ませ、二人に深々と頭を下げ
た。それに続いて淀も泣きながら頭を下げた。
 幸村が淀を見てニヤリと笑い、照れくさそ
うに言った。
「ほれた。いやぁ、殿にほれもうした」
 勝永は天井を見上げるように潤んだ目で言っ
た。
「ほんに、私もほれました。参りましたな」
 幸村と勝永は、秀頼に全てを話させた淀の
賢母ぶりにも感服していた。