2013年8月18日日曜日

二つの牙

 勝永と幸村の部隊は、離れていてもまるで
意思が通じているかのように、一方が抑える
と一方が前進して、徐々に家康の本陣に近づ
き、どちらが先に突撃してくるか分からない
行動をしていた。
 勝永の部隊が、徳川勢の酒井家次、相馬利
胤、松平忠良の部隊と交戦していると、幸村
の部隊は、松平忠直の部隊を敗走させ、先に
家康の本陣に突撃した。
 ここまで劣勢になるとは思っていなかった
家康の本陣は、士気が低く、混乱が混乱を呼
んで大軍が逃げ惑う烏合の集と化した。
 こうなると家康を護ろうとする者もなく、
家康は一兵卒のように雑踏の一部になった。
 幸いだったのは、家康が甲冑を身に着けて
いなかったので逃げやすく、雑兵と見分けが
つかず、見つかりにくかったことだ。
 幸村の部隊に続いて、勝永の部隊も家康の
本陣に突撃して家康を探した。
 この事態にようやく気づいた徳川勢は、一
斉に家康の本陣に駆けつけたが、勝永と幸村
の部隊はまだ反撃する余裕さえ見せた。
 地べたに這いつくばって泥まみれの家康は、
もう逃げきれないと死を覚悟した。
 稲葉正成は、これほど早く、家康の本陣が
豊臣勢につかれるとは思っていなかった。
 できれば初陣の松平忠昌を出陣させたくは
なかったが、そうも言ってられなくなった。
「若様、これが戦です。数の上では優る徳川
勢が、少数の豊臣勢に追い立てられておりま
す。それは、死を恐れる者と死を覚悟した者
の違いです。これから若様の部隊も出陣しな
ければなりませんが、今の徳川勢と同じよう
に、死ぬ覚悟がまだありません。どうか、兵
らに若様のお言葉を賜りたい」
 忠昌の顔には動揺がなく、やる気で高揚し
ていた。この時には正成が何を期待している
のかもすぐに察した。
「あい分かった」
 忠昌は馬に乗ると、待機していた部隊に向
かって叫んだ。
「者共、よう聞け。我らはこれから、命を捨
て大御所様をお助けする。命が惜しい者は、
かまわん、この場に留まれ。この忠昌と共に
戦う者は、縁があれば再びあの世で会おうぞ」
 そう言って、すぐに馬を走らせた。
 その後に正成が続いた。
 忠昌の背中の方から、雄たけびとも怒号と
もつかない声が響き、死を覚悟した忠昌の部
隊が出陣した。
 家康は、土にまみれた百姓のようになり、
本陣の混乱から抜けると、短刀を手にして切
腹する場所を探していた。
 幸村と勝永は、家康を見つけることができ
ず、怒りと焦りが交差していた。こうしてい
る間にも、徳川勢が盛り返してきていた。
 幸村が気づいた時には、茶臼山が徳川勢に
攻めとられていた。そこで、無念だったが包
囲されるのを避けるため、止むを得ず撤退を
開始した。
 そこに、徳川勢の各部隊に混じって、忠昌
の部隊も駆けつけ、正成は幸村の部隊が弱気
になっているのを見透かし散々に攻め立て、
二十七人を討ち取り、忠昌も二人を討ち取っ
た。
 幸村の部隊が崩壊していくのを見た勝永の
部隊も、徳川勢の藤堂高虎、井伊直孝の部隊
に反撃されるようになり、撤退を始めた。
 幸村は、命からがら天王寺の辺りに逃げ延
びた。
 やがて生き残った幸村の部隊の兵卒も追い
つき、近くの安居神社に向かい、境内で傷の
手当てをしていた。
 そこを徳川勢が追い討ちをかけ、幸村はこ
こに絶命した。
 勝永の部隊は、退却していた途中で、追っ
て来た高虎の部隊に反撃する余裕を見せたが、
流れを変えることはできず、援軍に駆けつけ
た豊臣勢の明石全登の部隊に助けられて、大
坂城に入った。
 秀忠の本陣で、秀忠の動きを封じていた大
野治房の部隊も、幸村の部隊が退却したのを
知ると、じりじりと後退し始め、やむなく大
坂城に戻った。
 正成は、忠昌を死なせずにすんだことにほっ
として力が抜けた。
 そんなことにはおかまいなしの忠昌は、初
陣を華々しく飾ったことに興奮し、善戦した
兵卒らをねぎらっていた。
 態勢を立て直した徳川勢は、次第に大坂城
に集結していった。

 幸村は、これより前、家康の本陣に突入す
る時に、子の幸昌を大坂城に向かわせていた。
 大坂城には、淀、秀頼と大野治長の部隊が
待機していた。
 治長も淀と秀頼が遁れることは承知して、
その時を待っていたのだ。
 幸昌は、三人の前に着くとひざまずいた。
「家康本陣への攻撃が始まりました」
 治長が応えた。
「あい分かった。淀殿、秀頼様、行きましょ
う」
 二人は無言で幸昌に一礼して、治長の向か
う後に続いた。
 役目を終えた幸昌は、父のもとに戻ろうと
したその時、治長が声をかけた。
「幸昌、そなたも来い」
 幸昌は一瞬迷ったが、秀頼の手招きで従う
ことにした。