2013年8月28日水曜日

黄金絵巻

 和子は、秀忠とお江与の間に末っ子として
産まれた。後水尾天皇が即位した慶長十七年
(一六一二)には、すでに家康によって、天
皇との結びつきを強めるための絆として、入
内の申し入れがおこなわれていた。その二年
後の慶長十九年(一六一四)四月に入内を受
け入れる宣旨があった。しかし、その後に起
こった大坂の合戦や家康の死去により延期に
なっていた。
 秀忠は、亡き家康の日光改葬にもめどがつ
いたことで、徳川父子の念願としていた和子
の入内の準備を始めた。
 武家の出である和子が持参する嫁入り道具
は、公家をも超える豪華な物にしなければな
らない。そのため、嫁入り道具を作る最高の
匠を江戸に呼び寄せた。
 絵師も、この時の最大画派だった京の狩野
派から呼ぶことになり、江戸に来たのは狩野
探幽だった。
 探幽は十六歳と、まだあどけなさが残って
いたが、絵の才能は、慶長十七年(一六一二)
に駿府で家康に対面して披露し、家康を驚嘆
させていた。
 秀忠には、探幽の若さに不安があった。そ
こで、試しに源氏物語の絵巻を作らせること
にした。
 源氏物語は、平安時代に紫式部によって書
かれた架空の宮廷物語で、主人公の皇子、光
源氏が義母の藤壺と密通するという衝撃的な
出来事から始まり、多くの女性遍歴をへて出
世していく様子が描かれ、当時の宮廷生活が
よく分かった。そのため、公家の間で教科書
のように広まり、戦国時代になって、武家の
間でも権威を誇示するために絵巻物にして読
みつがれるようになった。
 家康の駿河文庫にも古い源氏物語があり、
江戸に残っていた。
 探幽はそれに目を通すと早速、絵巻の作成
にとりかかり、しばらくして、出来上がった
一巻を秀忠に見せた。
 秀忠が、受け取った巻物を広げて見ると、
絵には一面の黄金がまぶしく輝き、優美な平
安の宮廷がまるで極楽浄土のように描かれて
いた。
「これをそなたが……」
 秀忠は言葉を詰まらせ、絵と探幽に目をやっ
た。
「お気に召しましたら光栄にございます。が、
少々問題がございます」
「なんじゃ。よいから遠慮のう申してみよ」
「ご覧のように、黄金をふんだんに使ってお
ります。この調子でいけば巻数もそうとうな
数になり、費用が計り知れません」
「そのようなことは心配するな。この調子で、
そなたの思うように描いてみよ。これなら公
家どもを黙らせることができる。日数もかか
ろうが気にすることはない。それよりも出来
が大事じゃ」
「ははっ」
 源氏物語の絵巻は、普通は多くても二十巻
程度だったが、探幽が描き始めた黄金の絵巻
は、桐壺の帖を描いただけでもそれぐらいの
巻数になった。
 この調子で描けば百巻を超える壮大な物に
なる。それを苦もなく探幽は描き続けた。
 和子の入内を待ちわびていた秀忠だったが、
後水尾天皇の父、後陽成院が身まかったこと
で、再び延期されることになった。