2013年9月11日水曜日

江与の死

 江与が病に倒れたことは、事前に秀忠へは
伝えられていた。しかし病状がそれほど深刻
なものだとは思ってもみなかった。それだけ
に秀忠の落胆はひどく、奈落の底に突き落と
されたように顔をゆがめて泣き崩れた。
 江与の死は家光にも知らされ、すぐに秀忠
のもとへ向かうと、そこには廃人のようにう
なだれた姿があった。
「父上、気をたしかになさってください」
「わしはもうだめじゃ。何もかも終わった」
「父上、そのような気弱なことをおっしゃら
ず。このこと、和子に知られてはもうすぐ産
まれるお腹の子に障ります」
「おお、そうであった。しかし、どうすれば
よいのじゃ」
「父上は何事もなかったようにお振る舞いく
ださい。私が政務を理由に江戸へ戻り、母上
のもとに参ります。父上は、和子の子が産ま
れてからお戻りください」
「ふむ、お前に任せる。おお、そうじゃ、国
松はどうする。あれにも知らせねば」
 家光の弟、国松は、元服して名を忠長と改
め、駿河五十五万石の藩主として二条城に来
ていた。
「いえ、お待ちください。和子は感が良いの
で国松までいなくなれば、母上に何かあった
ことを察しましょう。国松も母上が身まかっ
たことを知れば狼狽し、騒ぎ立てるかもしれ
ません」
「そ、そうじゃの」
「母上のことは、すべて私にお任せいただき、
父上は和子が男子を産むことだけお祈りくだ
さい」
「あい、分かった。お江与も、わしに力を貸
してくれるかもしれんな」
「和子の産む子は、母上の生まれ変わりとな
る子かもしれません」
 秀忠は家光の言葉に勇気づけられ、正気を
取り戻した。
 家光は、一通りの行事を終えると、政務を
理由に少数の家臣だけを引き連れて江戸に戻っ
た。そして、江戸城・西の丸の江与のもとに
向かった。
 そこには江与が、布団に全身をくるまれ、
外から見えなくなっていた。
 すでに日がたっていたため、亡骸の腐敗が
ひどく、病がうつる危険もあったからだ。
 そこで家光は、やむなく徳川家では初めて
の荼毘にふし、菩提寺である芝の増上寺に埋
葬することを決めた。
 この時、天海は江与を新しく建立した上野
の寛永寺に埋葬することを願っていた。それ
は、江与を埋葬すれば、いずれ秀忠も埋葬す
ることになり、寛永寺が徳川家の菩提寺にな
るからだ。しかし、家光が迷うことなく増上
寺と決めたことに、何者かの入れ知恵で家光
が自分と距離をおこうとしていることを悟っ
た。
 その頃、道春は、江与が死んだことなど知
らされることもなく、京に留まり、東舟らと
忙しい雑務をこなす合間、自宅に戻った。
 初めて会う四男、右兵衛は、三歳になって
いたが身体が弱く、まだ歩くことができずに
いた。その上、言葉も喋らなかった。
 心配する亀をよそに道春は、右兵衛を抱き
かかえた。
「三歳になっても歩かなかった伝説の蛭児は、
夷三郎という福神になったのだ。もしやこの
子も大器晩成なのかもしれんぞ」
 そう言って笑い、亀を元気づけた。しかし、
それから間もなく、亀の父、荒川宗意が死ん
だという知らせがあった。これには道春にも、
泣き続ける亀を慰める言葉が見つからなかっ
た。

 秀忠は、十月になっても和子が子を産む様
子がないので、一旦、江戸に戻ることにした。
この時、道春らにも内密に江与の死が知らさ
れた。
 道春は、江戸に戻る秀忠を見送り、一部の
残った家臣らと雑務をしていた。
 十一月十三日になって、和子が待望の男子
を産んだ。
 男子誕生はすぐに秀忠に知らされ、江与の
死で落ち込んでいた秀忠を奮い立たせた。
「ようやった和子。これでわしは帝の祖父。
父上さえも成し遂げられなかった天上人になっ
たぞ」
 道春が江戸に戻って、年が明けた寛永四年
(一六二七)には、家光が江与の葬儀をそつ
なく執り行い、秀忠から信頼されるようになっ
た。
 これで家光が本格的に幕政を取り仕切る下
地が整った。そして、道春にも重要な政務に
かかわる機会が増えてきた。