2013年9月23日月曜日

朝鮮への質問書

 道春は宗義成を通じて、三使に質問書を出
した。その質問では、儒学に関することの他
に、朝鮮の歴史に疑問を投げかけることを問
いただしていた。
「朝鮮の始祖である檀君が、国を統治したの
は千年余りといわれるが、そんなに長生きだっ
たのか。檀君の後を継承したといわれる子孫
については、明の古い書物に記されているが、
檀君については何も記されていないのはなぜ
か。そのような歴史は作り話ではないのか。
それから、明が殷といわれた時代に周を建国
した武王との争いに敗れ、殷の箕子が朝鮮に
逃れ、王となったと伝わるが、箕子が朝鮮に
来た時、その従者は五千人いた。殷の人、五
千人について明の古い書物には記されていな
い。これを書いた書物があるのか教えてもら
いたい」
 これに対して三使は、自分たちの歴史に言
いがかりをつける非礼な道春に憤慨しながら
も、答えられることには返答をした。
 さらに道春は、随員の文弘績に朝鮮の官位、
衣冠など国の組織について、また食事など生
活について問いただした。
 その最後の質問に「朝鮮では争いがあり、
前の国王、光海君が敗れ今の国王、仁祖になっ
たが、光海君は今どうされているのか」と聞
いた。
 光海君は秀忠の代には国王だったが、家光
が征夷大将軍になる間に、今の国王、仁祖に
追いやられていたのだ。
 これに対して文弘績は、王室のことは恐れ
多いとして語るのを拒んだ。
 東舟も他の朝鮮人たちに筆談で色々くどい
ぐらいに聞いてまわった。
 そうした道春と東舟のぶしつけな質問で、
朝鮮通信使が不快になっていることを聞いた
家光は、多くの家臣や朝鮮通信使のいる中、
道春を呼んだ。
「道春。そなたと東舟の質問は、あまり役に
立つものがない。私が知りたいのは、朝鮮で
の治世の方法や仁義忠信といった心得につい
てだ。通信使の方々に教えを乞う気持ちを忘
れてはならんぞ。よいな」
「ははっ」
 これで朝鮮通信使の不快は和らぎ、家光へ
の信頼は増した。
 しばらくして、朝鮮通信使は朝鮮と日本の
絆を深めることを約束して朝鮮へ戻っていっ
た。
 すぐに家光は、道春と東舟を呼んで、道春
に探らせていた朝鮮の内情を聞いた。
「こたびの通信使は、三使よりも従者である
訳官の洪喜男のほうが位が上にございます。
以前はこのように身分を違えることはありま
せんでした。これはやはり、朝鮮で政変があっ
たと見るべきでしょう。私と東舟の非礼な問
いにも、怒りはしますが、それ以上、事を荒
立てる様子はございませんでした。いちいち
上様におもねるような態度は、何かを欲しがっ
ているように感じました。こたびの渡来は、
上様に頼み事があったのではないでしょうか」
 家光がいぶかしげに言った。
「朝鮮は、明と金の争いの狭間でどちらにつ
くにしても国情は荒れる。だから、いざとい
う時のために、この国を後ろ盾にするつもり
だろうか」
「上様のご明察のとおりと思われます」
「しかし、今のこの国では朝鮮を手助けする
ことは出来ん。どうすればよいか」
「そこなのです。本当に困っていれば、こた
びは是が非でも上様に頼ったでしょう。それ
をしなかったということは、まだ余裕がある
のかもしれません」
「もしそうなら、こちらも今のうちに備えを
整えておかねばならんな」
「はい」
 家光はすぐ家臣らに命じて、食糧の安定を
図り、相模、箱根に関所を設けて人の移動を
制限した。そして、前々からポルトガル人を
肥前・長崎に造った出島に住まわせるように
命じていたのを急がせた。
 こうして国内の管理体制を整えさせた。