2013年9月26日木曜日

東舟の死

 寛永十五年(一六三八)八月

 突然、東舟が病に倒れ、道春が駆けつけた
が、すでに息を引取った後だった。
 東舟は、道春よりも儒者としての才覚はあっ
たが、仮の弟になり、よく我慢して道春を補
佐した。
 道春を今の地位まで高めることに尽力した
東舟の死に顔は、満足そうだった。
「私がいなければ儒者としてもっと大成した
であろうに。すまん」
 そう言って肩を落とす道春に、側にいた東
舟の子、永甫が声をかけた。
「伯父上がおられたからこそ、父上はここま
でやってこられたのです。生前、父上はいつ
も申しておりました。『自分のような町人が、
大御所様や上様のお側に仕えることが出来る
など、夢のようじゃ。これはすべて兄上のお
かげ。お前も伯父上を見習ろうて励め』と」
「そうか、そのようなことを」
 道春は、慶長七年(一六〇二)に、京の町
家、林吉勝の屋敷で東舟と初めて会った時の
ことを思い出していた。
 東舟の言葉が、脳裏にこだました。
「兄上様は、藤原惺窩先生をはじめ、公家の
方々からも指南を受け多くの兵や領民を指揮
し、学問を実践されたと聞いております。そ
の成果は目覚しく、領地を復興させることも
叶ったとか。そのことを、私はうらやましく
思っています。私の家は貧しく、建仁寺で学
問を学びました。最近知ったのですが、稲葉
様のご援助があったようです。しかし、それ
でも思うようには多くを学ぶことができず、
鬱々とした日々を暮らしておりました。この
ようなことを話しますのは、兄上様に、私の
人生をお譲りするにあたり、私のこれまでを
知っておいてほしいと思ったからです。これ
が、町人というものです。これから不自由に
思われることがあるかもしれませんが、耐え
忍び、町人の心持で、信勝を生かしていただ
ければ幸いです」
 道春は、まっすぐな目ではっきりとものを
言う若き東舟を思い出して苦笑いし、涙が溢
れてくるのもこらえず泣いた。
 東舟の葬儀は、儒教の礼により執り行われ、
遺骸は、道春の私塾の先聖殿・北隅に葬られ
た。そして、東舟の跡を永甫が継いだ。
 永甫は、道春の三男、春斎と一緒に、道春
の補佐をして評定にも加わるようになった。
 この頃、家光は、家康が自分と同じように、
病弱な身体を薬草により体質改善して長生き
したことに見習い、品川と牛込に薬園を造る
ことを命じた。そして、道春をその指南役と
した。
 道春は、方々から和漢の薬草が集められる
と、効能ごとに分類し記録していった。