2013年9月28日土曜日

待望の日

 寛永十八年(一六四一)

 この年も江戸では大火が起こり、大目付の
加々爪忠澄が死亡するなど、死者が三百人以
上にのぼる惨事から始まった。
 再建された江戸城・本丸に戻った家光は道
春を呼んだ。
 座敷には老中の太田資宗も呼ばれていた。
「道春、こたび、この資宗を奉行として大小
名、旗本、近習も含めた家系図集を作ろうと
思う。それを道春にも手伝ってもらいたい」
「ははっ」
 資宗は道春に一礼して言った。
「道春殿、この作業はこれまでにない大掛か
りなものとなりましょう。ご指導のほど、よ
ろしくお願い申し上げます」
「はい。こちらこそ、お願い申し上げます。
つきましては上様、我が愚息、春斎にも手伝
わせとうございますがよろしいでしょうか」
「それはよい。道春には良き後継者がおり、
うらやましいのぉ」
「はっ、恐れ入ります。ところでなぜ、家系
図集を」
「これは前々から考えておったことじゃ。権
現様の代より、大名に譜代、外様という区別
をしておったが、もはやそれは必要ない。わ
しは、全ての者を徳川のもとに集まった身内
だと思うておる。それを家系図集に記すこと
で形としたいのじゃ」
「ほぅ、それは良いお考えにございますな。
なるほど、皆とより絆を深めようとのお考え
にございましたか」
「そうじゃ。大変な作業になると思うが、資
宗と共によろしく頼んだぞ」
「ははっ」
 道春はさっそく、資宗と申し合わせ、全て
の武家にそれぞれの家系図を提出するように
求めた。
 こうしてこの壮大な作業が始まった。
 次に家光は、大詰めの仕事を完結させるた
め、平戸からオランダ商館長、フランソワ・
カロンを江戸城に呼んだ。
 オランダは、島原の乱で軍船を派遣して日
本に協力したが、キリシタンであることには
かわりなく、このまま平戸で交易を続けさせ
ることは出来ないと考えていた。そこで、長
崎の出島に移るように命じた。
 家光に謁見したカロンも、それを察してい
たのか素直に従い、引き続き交易の権利が得
られたことだけで満足した。
 これにより幕府は、外国との交易を完全に
掌握し、密航船の取締りを徹底することでキ
リシタンの流入を防ぎ、諸大名が勝手に力を
つけないよう管理し易くなった。しかし、点
在する孤島では、遭難船を装いやって来る密
航船と、これに人命救助と偽って密貿易をす
る商人がいた。そのため、交易を禁じられた
諸外国が、武力を使ってまで強く抗議するこ
とはなかった。

 一息ついていた家光のもとに、お楽が懐妊
したとの知らせが入った。
 お楽は、春日局の部屋子で、父は農民だっ
たが今は亡くなり、その後、母が古着商の七
沢清宗と再婚した。その店をお楽が手伝って
いた時、浅草参りに外出していた春日局の目
に留まって、大奥に入ることになったのだ。
 八月三日に、お楽は家光が待望していた男
子を産んだ。
 大喜びする家光を春日局がたしなめた。
「上様、まだまだ安心は出来ませぬぞ。病弱
な上様の血をひいておれば、これから幾度か
苦難もありましょう。気を引き締めて見守っ
てまいらねば」
「そ、そうじゃの。福、よろしく頼むぞ」
 冷静を装う春日局だったが、心では家光以
上に喜んでいた。
 生まれた子の名は家光の幼名で長生きした
家康の幼名でもある竹千代とした。
 江戸城内は喜びに湧き上がり、家光の側近
は盛大な祝賀を考えていた。しかし、家光は
凶作続きで財政も悪化していることを考慮し
て、質素な祝賀にするように命じた。
 威厳がついてきた家光の姿を側近は頼もし
く感じていた。