2013年9月5日木曜日

天下泰平の道

 家光は、以前からお忍びで城下町を観て周
り、民衆の暮らしぶりを知っていた。その体
験から、自分の気持ちを道春に正直に話し始
めた。
「私は民の生活を見聞きするにつけ、天下泰
平が民にまで行き届いていないことを知った
のです。このまま私が公家の姫を迎えれば、
公家と武家だけが豊かになり、貧しい民の不
満はやがて騒乱の芽となりましょう。和子が
帝と結ばれたのなら、私は民と結ばれるのが
天下泰平を万民に行き渡らせることになると
思うのです」
「若様のそのお考えは大変良いことにござい
ます。しかし、上様がお知りになれば、世継
ぎどころか切腹をご命じになるやもしれませ
ん」
「その覚悟はできております。私は、権現様
が築いた天下泰平の道が父上のしていること
で断たれそうになっていることを死をもって
訴えるつもりでいます」
「若様、そのようにことを急いではなりませ
ん。お福殿はこのことを知っておられたのか」
 福は表情も変えず言った。
「はい。存じておりました」
「知っておって、そのようにのん気な顔を」
「竹千代様は、私が命に代えてお守りします。
すでに手はずは整いつつあります」
「それはどのような」
「それは、今はお知りにならないほうが良い
と思います。道春様には、竹千代様のお考え
を上様に伝えないでおいてほしいのです」
「当然です。伝えられるわけがないでしょう」
 すると家光が笑を浮かべて言った。
「先生、それを聞いて安心しました」
「しかし、若様、命を懸けるなどもってのほ
かですぞ。命を粗末にしてはなりません」
「分かっております。それぐらいの覚悟がな
ければ、父上を動かせないと思うだけで、本
当に命を絶つ気はありません」
「それを聞いて安心しました。では、キリシ
タンの処断について上様に反発しておられる
のも、民を心配してのことなのでしょうか」
「そうです。なぜ父上は、あのようにキリシ
タンを苦しめ、殺すのか。キリシタンと疑わ
れるだけで拷問を受けると聞いています。そ
んなやり方では民の心が離れてしまいます」
「若様のおっしゃるとおりです。しかし、上
様のお立場もお察しください。本来なら、こ
の地にキリシタンを受け入れてはいけなかっ
たのです。かつて織田信長公が、天下布武の
名のもとに、キリシタンの持ち込んだ鉄砲や
知恵を手に入れるため、その教義の意味を深
く考えず受け入れました。それが国中に広ま
り、戦の形を変えてしまいました。後に関白
となられた豊臣秀吉公がそれに気づき、禁教
令を出しましたが時すでに遅く、諸大名がキ
リシタンの洗礼を受けるほどに深く入り込み、
政務にも影響を与えるようになりました。そ
のキリシタンは、人には愛せよと申しますが、
側室を儲けることを良しとせず、自分たちの
神だけを信仰するように求めております。こ
れには八百万の神を愛することを拒むという
矛盾があり、そのことを隠して民を欺こうと
しております。これでは、正しき民と騙され
た民との間で対立を深め、この地に争いを持
ち込んで疲弊させ、共倒れになったところを
植民地にするのではないかと疑われましょう。
そうでなくてもキリシタンは、大砲や火箭の
ような、多くの将兵を一瞬で殺す武器を持ち
込んでおります。これらがキリシタン信者の
手に渡り、知らず知らずのうちに広まれば、
先の大坂の合戦とは比べものにはならない無
残な大戦となりましょう。この地の者は全て
死にます。古来より『災いは芽のうちならば
手でつまんで取り除くことができるが、大樹
に成長すれば容易に切り倒すことはできない』
と申します。上様は大樹にまでなったキリシ
タンを倒さなければならなくなったお立場な
のです」
 家光はうなずきながら聞いていた。
「しかし、それにしても女、子まで殺してい
ると聞きます」
「それだけ根深いのです。これは疫病のよう
に、人から人へうつる病のようなものなので
す。心を侵され、治すことができないとなれ
ば、子であろうと殺すしかないのです」
「では、まだ天下泰平とは言えぬということ
ですね」
「その総仕上げが必要なのです。民を苦しめ、
残忍な行いになっていることを上様だけの所
業とするのは誤りです。これは時の巡り合わ
せなのです」
「分かりました。私も、それを引き継がねば
ならぬということですね」
「もしかすると上様は、若様に将軍の座を譲っ
て、それをなそうとされているのかもしれま
せん。かつて、権現様も上様に早くから将軍
の座を譲り、豊臣家を討ち果たしました。し
かし、若様が今のようでは、譲るに譲れない
とお考えなのかもしれません」
「では、私が父上の言うことを聞くようにす
れば、将軍になれるということか」
「そうなれば、若様のしたいことも叶うと思
いますが」
「それで父上の天下泰平の総仕上げがしやす
くなるのであれば、そうしてみるか」
 道春と福は深くうなずいた。