2013年9月9日月曜日

陽明門

 日光の東照社では陽明門が出来上がってい
た。その黄金をふんだんに使い、優れた匠の
技を結集した荘厳な造りは、家康が旗印にし
ていた「厭離穢土、欣求浄土」を体現してい
た。

 この世はけがれ、
   捨て去るべきもの。
  極楽浄土を
   目指さなければならない。

 それが人の心に伝わるかのように、噂を聞
いた人たちが次第に参拝するようになった。
 天海は、人々がキリシタンの弾圧により、
何にすがって生きればいいのか見失っている
と感じていた。その迷いを家康が受け止める
神だということを強く示すために、江戸を東
の京とすることを構想していた。
 すでに秀忠からは、上野に寺を築く敷地を
与えられていたので、そこに本坊を建てるこ
とを急いだ。

 寛永二年(一六二五)

 道春は、正月に弟の東舟と共に崇伝に会っ
た。
 一通り年賀の挨拶を済ませると、崇伝が話
し始めた。
「日光には大勢の見物人が詰めかけておるそ
うじゃ。天海殿の狙いどおりじゃな。それに
気をよくして、今度は寺を築いておるらしい。
まあ、これでしばらくは政務に口出しはせん
と思うが、気になるのは家光様が天海殿に心
酔しておることじゃ。道春殿はどう見ておら
れる」
「はい。上様は、天海殿が権現様の生前のご
様子をよくご存知なので、それでよくお話を
聞いておられるだけではないかと思います」
「それだけならば良いが、相手は天海殿。権
現様の名を借りて、自分の思い通りに操る術
も心得ておろう」
「それは考えられますが、今はまだ、大御所
様が実権を握っておられます。上様が政務に
かかわられるようになるのはまだ先のことで
す。東舟はどう思う」
「兄上の言われるように、今は大御所様がほ
とんどの政務をされていますが、しかし、最
近はよく家光様とお会いになることが多くなっ
ているように思います。政務を任されるよう
になるのは意外と早くなるかもしれません」
 崇伝の顔色がくもった。
「それはまずい。今のうちに家光様と天海殿
を引き離すようにしなければ。道春殿、そな
ただけが頼りじゃ」
「はい、できる限りのことはやってみます」
 三人は不安を打ち消すように、しばらく詩
に興じて別れた。
 天海は本坊が建立されると、年号をとり寛
永寺と名づけ、京の比叡山に対する東叡山と
して世間に浸透させていった。

 ある日、家光のもとに、長崎代官、末次平
蔵政直から書簡が届いた。その内容から、道
春が呼ばれた。
「先生、明の欽差総督から抗議の書簡が届い
ているのです。先生は以前、明の商人からの
抗議に返答を書き、国難を救ったと聞いてお
ります。こたびもよろしくお願いいたします」
「はっ、それでは書簡を拝見いたします。ほ
ほっ……なるほど、これは以前と同様、わが
国の者が明の商船を襲っておるということで
すね。わが国の法令は以前にも増して厳格に
なり、監視も厳しくしております。今、明の
国情は乱れ、明の暴徒が、わが国に来ておる
と聞きます。思うに、その暴徒がわが国の民
に成りすまし、わが国から買った武器を使っ
て明の商船を襲っておるものと思われます。
まずは、明の国情を良くし、法令を厳格にし
た上で、わが国と協力して、これら暴徒を取
り締まるのが筋であることを返答したいと思
います。いかがでしょうか」
「さすがわ先生、それでよろしくお願いいた
します。それから、私は近いうちに日光に参
ります。先生もご同行ください」
「ははっ」
 道春はすぐに返書を起草した。そして八月
になって家光の日光・東照社への参拝に同行
した。
 家光は陽明門の前で立ち尽くした。
「これは聞きしに優る出来栄えだな。これで
こそ権現様の廟にふさわしい」
 道春もその見事さに声を失っていた。
「道春先生、道春先生」
 道春は慌てて、家光の側に行き、小声で言っ
た。
「上様、大勢の前では道春とお呼びください」
「分かった。道春、これが、わが国の匠たち
の技。他国にも負けまい」
「負けぬどころか、このような立派なものは
他国にはございませんでしょう」
「ご老体の天海が、権現様のために心血注い
でいたそうだからな」
「そうでしょう、そうでしょう。権現様と天
海殿は一心同体のようなもの。いずれキリシ
タンが一掃されれば天海殿の世となりましょ
う」
「それはどういうことですか」
「いや、これは失言でした。もちろん天下が
天海殿のものになるのではなく、宗教が統一
されると申し上げたかったのです」
「それでは天海殿の力が強くなり過ぎるとい
うことですか」
「そうならないとも限りません。これを見れ
ば、他の宗派は陰が薄くなりましょう」
「しかし、いまさら止めろとは申せん」
「止める必要はありません。上様を惑わせる
ことを申し上げ、大変失礼いたしました。た
だ、何事も中庸を保たれることが肝要かと」
「そうだな。キリシタンのこともある。いや、
ご忠告、ありがたくお受けいたします」
「恐れ入ります」